美しく静かな蓮華院誕生寺奥之院の土を主人と共に初めて踏んだのは、春の雨降りの日でした。
離婚の危機にあった私達夫婦は、心の出口がみつからず、かけあう言葉さえわからず、ただ二人で{どこで待っていればいいんだろう?}と立っていました。その私達を一人の僧侶の方が、とても明るく元気に出迎えてくださいました。
その先生につき一週間自分を見つめ、奥之院の美しい景色に傷ついていた自分の心をいやしてもらい、それまでの何を見てもしても、過去の出来事にとらわれ涙していた私とは違う自分が、今いることが何より嬉しいのです。・・・・・・
苦しくて涙を流すことが出来るのも、今こうして生きているからこそ。そして、この世で色んな事を感じ、体験できるのも、この世に私を送り出して下さり、育ててくれた両親がいて下さったからこそ。毎日内観と勤行だけに集中できたのも、 周りの方々の色んな支えがあったればこそ・・・・・・。
色んな・・・・・があったればこその中で、一番自分をいやそうとしないのは自分自身であった事がよくわかりました。
悩みを作り出すのも、作り出して悩んでいたのも自分自身ということがよくわかりました。ありのままの自分、身近な人、あらゆるものをそのままに受け入れる事が何よりも大切。受け入れて初めて感謝が生まれる。愛情が生まれる。反省が生まれる・・・・・・・。
これ迄いかに自分自身で、色んなことにこうあるべきという枠を決めて、その中に自分が入らないこと、周りの人や出来事がその中に入らないことで、どれ程苦しみ、悩んだことか・・・・・・・。本来、枠などなかったのですね。
そして、いかに何に対しても誰に対しても、受け入れる前に何かを与えられる事を望んでいたかを、思い知りました。本当に器の小さい人間でした。本当に被害者意識の強い人間でした。
そしてまた、憎み恨むのではなく、ゆるすことの大切さも教えていただきました。 私の心の片隅に、無意識のうちに主人に復讐したい自分がいることに気付きました。許すことによって、はじめて私の器が大きくなり成長し、私自身の幸福に近づくことを知りました。
そんな私にずっとついて、その時々に必要な文面を走ってとりに行って下さった 僧侶の先生。先生の持ってこられた文面は、いつもまさにその時私がぶちあたっていた壁を打開するヒントばかりでした。夜寝る前に読むその内容は、いつも涙が止まらないものばかりでした。そして、それからどれだけのエネルギーを頂いたか、はかりしれません。
心をいつも{空(くう)}に・・・・・{こだわりすぎなさんなよ。かたよりすぎなさんなよ。とらわれすぎなさんなよ。とらわれないということにすら、とらわれすぎなさんなよ。広い広い、宇宙のように広く大きな心を持って毎日生きていきましょう。}
勤行を一緒になってさせて頂けたのも、私にとって非常にラッキーな事でした。朝晩のお参り。経本に書かれてあることが全部わからなくても、{心をいつも空 に!}。これだけを念じて、一日でも早く無理なくそれができる人間になりたくて一生懸命お参りしたのも、蓮華院における一つの良い思い出です。
三枚の用紙では書ききれない程の記憶がこの一週間のうちにあります。色んな方のお陰で少し心のドアが開きました。今日こちらを発ち自宅に戻ってからも、そのドアを少しずつ自力で開ける努力を、{あるがままに、無理なく自然に、楽しんで}致します。
また、主人と二人でこちらに笑顔で里帰りしたいと思います。一週間本当に色々とありがとうございました。