朝から夜まで6日間もよく内観できたものだと思う。終わってみれば、ちっとも長く感じないので、充実した7日間であった。また、子供の内観をしていても、瞬間的に妻の内観をしてしまい、目頭がゆるんできたことも多かった。
妻との出会いは、私が22才の時、原因不明の血尿で2ヵ月半の入院をした時、病室でだった。彼女は当時、看護学校を出たばかりの18才であったが、しっかりしていて、明るくて気立てがよくて、すらっと背も高く、まさに白衣の天使であった。
ある時、病室の先のベランダで、遠くを見る彼女の横顔に少し淋しそうな表情をキャッチした。近づくと「寝ていなきゃいけない時間でしょ。」といつもの顔に戻っていた。お姉さんのような看護対応と、母を亡くしたばかりの悲しさを持つ彼女を、愛らしいと思うようになった。私の心に火をつけてくれたのである。
退院後、自分の気持ちを手紙にして彼女へ送った。お姉さんが欲しいと思っていたので、白衣の天使がお姉さんに見えたのでしょう。病から立ち直るきっかけと、そのやさしさに、私を夢中にさせてくれました。彼女の同期の看護婦さんの援助もあり、交際は深まりました。
看護婦として私を看病してくれた夏、湖へ二人でキャンプに行き、帰りのバスで乗り物酔いしてしまい、東京についた時はフラフラで、寮まで一人で帰れない悲惨な状態の私でした。
この時、彼女は上京してきた兄と久しぶりに会うことになっていました。しかし、彼女はそれを棒にふってまで、私を寮まで送り届け、帰って行きました。尊敬する兄には会えなかったと思います。そんな辛い思いをしても、その後グチは言いませんでした。
ある時4人で登山へ行きました。彼女の同僚の看護婦さんと、私の職場の後輩の4人です。前日、彼女とは喧嘩別れをしていたので、もしや来てくれないのか心配した私でしたが、そんなそぶりを少しも見せず、一日楽しい山登りが出来ました。後に結婚してから後輩に「そんな仲だったんだ。俺たちはダシに使われたんだ。」と、あきれて言われました。
何回か年代順に内観すると、はるか40年も前の事が手にとるように、まぶたに映し出されます。びょうぶで仕切った半畳のスペースで目を閉じていると、当時と変わらぬ映像がはっきりと映し出され、会話が聞こえてくるのです。相手の表情も判り、言葉を聞かなくても、相手の思っていることがなんとなく判ってきます。とても不思議な体験です。
結婚後、私は仕事で忙しく、また、日曜日は釣りや少年サッカーのコーチにのめりこんでいましたので、妻を省みませんでした。そのため、いつしか、夫婦がお互いに背を向けた状態になっていました。
私があるセミナーを受けた時、「私が元気になれないのは少年サッカーのコーチ時代である。」との指摘を受けました。反省した私は、セミナー終了後自宅で妻を抱きしめ、心からの「ごめんなさい」を言いました。
しかし、その後、妻を笑顔にさせる方法が判りませんでした。何故、笑顔にさせることが出来なかったかを内観しました。当時を年代順に2、3回内観し、二人三脚で取り組んだ7ヶ月間の妻の闘病生活を内観してわかりました。心のこもった対話や振る舞いが少しもなかった事に気付かされました。
どんなに少しの時間でも良い、心のこもった振る舞い、付き合いをしておけば、妻のガンの大きな原因となったストレスをやわらげ、こんなに早く愛しい妻を奪われることにはならなかったと思いました。
生涯を看護婦として、身を粉にしてつくしてくれた妻に私は感謝したい。残された子供へ妻に代わって感謝の気持ちで接していきたい。立派に独立した子供達の姿を、墓前で報告できることを誓いたい。内観で新婚の頃の愛しい妻に会えました。素晴らしい一週間でした。本当にありがとうございました。