私は今回の内観が二回目となります。一回目の内観は、アルコール依存症を克服するため、内観療法を行っている病院で、家族から半ば強制的に受けさせられました。内観に対して半信半疑だった私ですが、一週間の内観でいくつかの精神病院にかかっても断つことのできなかったお酒を、キッパリと断つことができたのです。
ですから一度目の内観を受けさせていただいてからの二年間は、もう一度内観を受けてみたいなあと思っていました。そしてこの春直感的に「よしっ、今だ!」と感じるものがありましたので、今回蓮華院様に導かれるように参りました。
二度目の内観で新たに気付かせて頂いた事は、「私には愛がなかった、愛が足りなかった。」という事ではなく、「愛を持っていなかった。自分自身で愛を作り出すことが、今までできていなかった。」ということです。本当に恥ずかしい事です。
私はお酒を断ってから、パニック障害になりました。もうこの病気になって二年経ちます。こちらに来るまで薬を手放すこともできませんでした。
何故この病気に私はなったのだろうと、今までもよく考えたことはあります。その時自分なりに出した答えは、発作はお酒を断つために神様が私にくれたプレゼントなんだと思っておりました。
だけど、こんなにも苦しい発作はどうして起きるのだろう?いつ発作を起こしてしまっているのだろうと調べてみました。発作が起きるのは、だいたい一人でいる夜と、あとは友人達と出かけていて、その場所に居心地悪く感じた時に起こしていました。 私は、もしかしたら自分は一人ぼっちかもしれないとか、私は必要とされていないのではないか、という不安を感じた時に発作を起こしていたようです。
そうなんだ、具合が悪くなる、発作を起こす、という事で、私は家族、友人の愛を確かめようとしていたんだと思います。私はものすごく寂しがりやです。その分、人から注目されていたい、 いつも人の中心でありたいと心のどこかで思っていたのでしょう。 その自分勝手なエゴが発作を起こしていたんです。発作は人から愛されたいと願う私自身が作り出していた事に気付かされました。
だけど、どうして私はここまで愛というものに執着しているのだろうか?もしかすると私自身が自分の事を愛せていないから? 誰かに頼りたいという自分の弱さが、愛を求めているのか?それ ともただ寂しいから?愛について色んな事を調べました。愛なんてちょっと難しい事を調べたので、トンネルの中に入ってしまいました。
その日は朝から雨が降っていて、風も音をたてていました。 「今日は寒い・・・」などと、つい余計な事が頭をグルグルと回っている時に、座っている屏風の外がパァーと明るくなったので す。「やっとお日様が顔を出してくれた。」と思った瞬間、私の中にも光が射しました。
「ああ、そうだったんだ。私は生まれた時から、ずっとずーっと愛を与えられてきたんだ。今まで、その愛は途絶えることなく、私をあたたかい愛で包み込んでくれていた。あまりにも長いこと輝きの中にいた事で、私はその愛を当たり前のように思い、愛さえも感じられなくなっていたんだ。」この自然が私に気づかさせ てくれました。
曇りの日が続いたりするとお日様が恋しくなる。その時お日様のありがたみを感じる。だけど、晴れの日が続くと、お日様が当たり前に思えて、ありがたみ、はたまた、お日様の存在すらも忘れてしまう。それと同じ事だったんです。いつも私は愛の中にいたから、その愛のあたたかさを忘れてしまっていた。そう、私は愛で満たされていたんです。
そしてまた、自分自身が愛を持たない人間だと気付かされました。私の手の中には、愛のかけらすらも作り出すことができない、空虚な人間だったのです。
ですから、愛を、家族から仲間から恋人から、与えてもらう事ばかりを願っていた。時には、奪い取ろうともしていたのかも知れません。私は汚い人間でした。私自身に愛がないから、今まで多くの愛に包まれていながらも、気付くことができなかったのだと思います。
だけど、こんな私に家族は、そして沢山の仲間達は、無償の愛で包み込んでくれていました。そしてその事に、私はただ甘えているだけでした。本当に恥ずかしいです。
これからは、私が愛そのものになろう。今までたくさん愛をもらった分、いやそれ以上を返していきたいです。送り続けたいです。愛に包まれながら、私の手の中にも一杯の愛を生み出していこう。決してゼロにはなることのない無償の愛を。
人生とは尽くすこと。誰に対しても、何に対しても誠意を持って尽くしきること。私は実行します。必ず実行致します。そして自分の人生を愛を持って生きていきます。
笑って生きよう。とにかく毎日笑って生きよう。大切な家族と笑って生きよう。仲間と一緒に笑って生きよう!!!本当に本当にありがとうございました。お世話をしていただきました皆さまに心より感謝申し上げます。どうかいつまでもお元気でお幸せに。 合掌
追記)パニック障害になってから、こんなにも気持ちが安定しているのは初めてです。