今年五月、佐賀市で日本内観研修所協会の第十八回大会が開催 されました。その時に、内科医院長K医師のお話がありました。先生の許可を頂きましたので、壮絶な人生を過ごされたK医師の、生々しい半生と人生の転機となった内観の体験を、先生が三十才の時に書かれた文章で皆様にご紹介致します。
第一章 発病
私が体の不調に気づいたのは中二のころからである。一日に数回激しい下腹部痛におそわれ、歩いていてもその場にうずくまらねばならないほどだった。下痢もよくするようになり、また家人が逃げだすほど放屁が臭いのだ。さらに、肛門の周囲から膿が出て、下着を汚してしまう。
「病気は腸結核だと思われます。まず痔ろうの手術をして、そ れから結核の治療をしましょう。」九月中旬、痔ろうの手術。長期間放置していたため、病変はかなり広がっていた。多くの括約筋を切除せねばならなかった。手術は医師の血管の結紮ミスで、 大量出血をきたし、再手術後、輸血をも必要になった。
結核治療を開始して一ヵ月ほどたってから、主治医が突然こう言った。「どうも結核かどうかわからなくなってきたんです。検査の意味も兼ねて虫垂をとりましょう。もし結核だったら空気に触れさせると、菌は死ぬので治療にもなりますから。」
十一月下句、虫垂の切除手術。十二月のはじめ退院した。ここでの二度の手術が、将来大きな苦しみをもたらすことになろうとは、まだ知る由もなかった。
第二章 クローン病との闘い
そして、暑い夏とともにまた腹痛と下痢が始まる。体は痩せ、何をするのも億劫となる。気力が湧かないのだ。今度は大きな所 でちゃんと診てもらわねばと、大学病院に入院することになる。
教授の診断で始めて正確な病名が分かった。「クローン病とい うとてもめずらしい病気です。今のところ原因も治療法も全くわからないんです。残念ですが。」クローン病はその後まもなく厚生省指定の難病となる。
初秋の頃、薬物治療の効果が期待できないということで、手術となった。十月の終わりに退院。しかし、今度は症状は改善しなかった。下痢は日に平均して十回。ひどい時には二十回近くになる日もあった。さらに、悪いことには手術で括約筋をかなり切っていたので肛門の締まりがなくなり、そのため便を失禁してしまうのだ。
便意は時所かまわずやって来る。歩いていても、バスの中でも、 授業中でも、食事をしていても。我慢する、我慢できない。放屁したつもりが便がでてくる。
朝起きたら、シーツは汚れている。友達と歩いていて、便が漏れ出し、ズボンの中を足を伝わって落ちてくる。心が氷つくようだ。「ちょっと用事があったんだ。」と言って、来た道を戻りながら、トイレを必死に探す。トイレに入る時には下着はもちろんズボンまで染みて汚れている。
帰ろうとバスに乗ると回りの人が顔を歪めたように思えた。そんな事が何度もあった。汚れた下着を家人に隠れて洗いながら、 涙が止まらない。「どうして、こんな体になったんだ。」「どうして、こんな辛い目にあうんだ。」
希望のない日々が続く。それでも何とか高校と大学を卒業し、 薬剤師となる。下痢と腹痛はずっと続いていた。
第三章「内観」との出会い
「君には内観しかありませんよ。内観をぜひやってみなさい。」 静かだが、きっぱりとした声だった。「内観」という初めての言葉がわからなかったが、その声の重みに何かを感じた。悶々としている私を見て母が、「奈良にりっぱな薬剤師の先生がいらっしゃるから、ぜひ行ってごらんなさい。」と言った。その先生の言葉だった。(続く)