第三章 「内観」との出会い
「君には内観しかありませんよ。内観をぜひやってみなさい。」 静かだが、きっぱりとした声だった。「内観」という初めての言葉がわからなかったが、その声の重みに何かを感じた。悶々としている私を見て母が、「奈良にりっぱな薬剤師の先生がいらっしゃるから、ぜひ行ってごらんなさい。」と言った。その先生の言葉だった。
内観とは奈良県大和郡山市の吉本伊信師が始めた自己変革法のことである。自分の生きて来た過去を、視点を変えて、関わってきた人を中心に思い出すのである。
また、ただ思い出すのではない。「その人にしていただいたこと」「その人にお返したこと」「その人に迷惑をかけたこと」の 三点に絞り、約三年~十年ずつの単位で思い出すのである。
まず、母のことを内観する。してもらった事ばかりで、何も返していることはない。寝ずに看病してくれた晩の事がはっきりと思いだされる。涙があふれて止まらない。
三目目、父についての内観。憎いとばかり思っていた人であるが、小さい時から、いろいろな所に連れて行ってもらった事が次々に思いだされる。やはり、何もお返ししておらず、迷惑をかけてばかりなのだ。
生まれてからこのかた、玉ねぎの皮のように何層にも心の垢ができていた。そのため、人生の真実が見えなくなってしまっていたのかもしれない。
内観というレーザーの光が、垢の皮を鋭く貫き、そこから、生まれたばかりの汚れを知らない純粋な心が見えた気がする。多くの人に抱いていた憎しみ、わだかまりが消えていく。誰に対しても素直になれる、そんな気がした。
そして、面接の時、人に一生言えないと思っていたことが、すっと言うことができた。「いつも失禁をしてしまい、それが恐くてたまらない。」ということを。
このことはとても大きなことだった。「失禁する」ということを人に言えたということで、何か別の世界に足を踏み入れた気がした。心の重しがとれて、とても軽くなったようだ。
四日目の朝は一生忘れられない朝となる。「心が変われば、体も変わるというのか。形のある固い便がでたのだ。」
発病以来、一度も見たことがなかった。何しろ、この十数年、 毎日十回ぐらい出る便はいつも下痢だったから。形のある、きれいな色の、良い臭いの便。涙がどうしょうもなくあふれてくる。すぐ、面接でそのことを話そうとするが、泣けて泣けて言葉にな らない。
その日から、腹痛がとれ、下痢が止まった。まさに奇跡だった。 生きていく希望、気力がこんこんと沸いてくるのがわかる。今までの自分が死んだような気がした。生まれ変わるというのは、こんな感じかもしれない。
一週間が過ぎ、奈良の内観所をあとにする。外の空気がきらきら輝いてみえる。何もかもまぶしく感じる。道端の野草の小さな花の美しかったこと。みんな生きているんだ、懸命に。
「一週間で、心も体も人は変わることができる。」疑っていたことが本当だとわかると、今度はこの事を皆に伝えたいとの思いに強くかられた。
家人は私の変わり様に驚いた。朝は一番に起きて家中の掃除をする。仕事も熱心だ。何しろ明るく元気だ。人ともよく話をするようになった。
第四章 患者の経験を活かす良き医師を目指して
二十六才の時、昼間は大阪の病院の薬剤師として働きながら、針灸学校の夜間部に入学する。院長先生との出会いは大きく、その後医師を志し、働きながら猛勉強。見事に一回の挑戦で医学部に合格されました。
卒業されてからも、K先生は、勤務医と大学での後輩の指導でがむしゃらに働き続けられました。その結果、倒れてしまい、食べられなくなり、「点滴だけで生きていこう。」と決心されたこ ともあったそうです。
そういう状況の中でも先生は前向きで、この時は山登りが転機となり、徐々に普通に食べられるようになられたのでした。四十三才のとき、地元で開業されました。
現在、小腸は半分、大腸は全部摘出した状態で、人口肛門です。 しかし、「生きているだけでも感謝です。生きていれば何とかなるだろうと、内観のお陰であまり落ち込まずにすんだ。今日あるのは、内観の御蔭だと思っている。」と語られました。