(37才 男性) |
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(夫婦仲がうまくいかなくて、内観に来られた方の感想文です。) 先程、感想文のことを聞いて、ハタと困った。文学のことについて、ちょっと吹いたからである。エエ、ままよ。奥様の心のこもった最後の食事を摂り、洗い場で器を洗い始める。すると、今日も黒アリが居るのである。 このアリは、普通サイズよりも少々大きめで、水やシャンプーをちょっと位流しても、体をはいつくばらせて洪水に耐えてしまうのである。 ザブザブと流し続ければパイプ内まで行き、溺れ死ぬのだろうが、簡単にはくたばらないという気概が見える。だから、何にでもいいから行き詰まった人は、洗い場のアリたちの根性を見ればいい。 もっとも本格的には、僧侶と尼僧の先生方が、ぼくを細かく丁寧に指導して下さったのである。 日曜夕方からの最初の三日間は、内観にならない。時々、ある部分について鮮明に思い出せることがあるが、立体的な感じ方はできない。中日の水曜日になると、もう残り少なくなってきたと言う事で、焦る気持ちが出てくるが、なかなか、もうろうとした霧を払うことはできない。 足掛け五日目の夕方近くなって、やっと、《こうでなければならないと言う、あるべき自分の姿も、決まりきった、あるべき妻の姿もなかったんだ。》という簡単な真理に気がついた。スッと何気なくわかったのである。 それなのに私は、自分のことは棚に上げて、{何故お袋のようにできないんだ。してくれないんだ。}と妻ばかりを責め、いさかいがたえなかった。その原因は自分にあったのである。そして、この気付きは妻以外の他人へも応用できると思った。 最終日の最後の最後、野球に例えれば、九回裏と言うところで、我が家の長男である{裕一}がフト思い浮かんだ。それは、横浜時代の荒れた夫婦関係の中で、僕も妻も般若心経の大神呪のように期待と明るさを込めて呼んでいた名であった。 あの4年間の中で、妻は、{裕一君、裕一君}と呼びならわしていた。狭いアパート内でのそうした妻の姿が、長男の名にオーバーラップしたとき、ぼくは涙をこらえることが出来なかった。 妻は{僕の宝}でもある裕一を、いつくしみながら育てていてくれたのだった。今も、こうして書きながら、二度涙をふきに立った。 横浜にいたアリの家族は、その後何回か引越しをし、四匹になって福岡にすんでいる。両家の父母の家も近い。流されてばかりいては終には死んでしまう。しぶとく天命を全うしたいものだ。 私はここに居る間、心経を三枚写させてもらったが、帰宅してからも続けたい。それぞれの終わりに願い事を書き込むのは、楽しい作業だ。 それから、また一年以内くらいに内観を再度うけたいと思っている。転勤がなければ、またこちらへおじゃましたい。境内の小径の可愛いお地蔵さんたちにも、今朝そう約束した。合掌
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