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2024年04月12日大日乃光第2399号
「十善戒」を前向きに実践して善き個性の花を輝かせよう

桜の開花に個性の輝きを考える
 
この原稿の執筆は約半月近く前の三月下旬ですが、こちら玉名では長雨が続き、恰も「菜種梅雨」そのもののようです。本院では五重塔の池の畔のサトザクラや南大門への参道沿いのヤマザクラが雨の中で咲きました。南大門の周囲のソメイヨシノはまだ咲き始めたばかりです。
 
近年は地球温暖化の影響か、全国的にも桜が早咲きの傾向で、九州では入学式前に花期が終わっている有様でしたが、今年は天候の不順により少し遅れて咲くようです。全国的には今年もほぼ例年通りに桜前線が日本列島を北上し、それぞれの地域で人々の心を和ませ、慰めてくれる事でしょう。
 
さて、私達が「桜」をイメージする時、今日ではその八十パーセントがソメイヨシノ(染井吉野)という品種の桜になります。ソメイヨシノは見栄えが良く、やや大きく咲く事から、一気に日本全国に広がりました。
 
このソメイヨシノは全ての樹が同じ遺伝子を持っているので、それぞれの地域で一斉に花を咲かせます。その反面、病気にかかる時にも一斉に同じ病気にかかってしまうのだそうです。日本の春を象徴する風景には、実はそんな秘密があったのです。
 
これを私たち人間社会に当てはめて考えてみると、同じような性格、同じような個性を持った人の集団の方が一見まとまりが良さそうですが、外部から大きな力が働いてくると、途端に意外な脆さが現れるのかもしれません。
 
「人それぞれに花あり」と言う時、その人の特性や個性が輝いていて、それがその人の良き花という意味でも使われます。
 
また、現代は〝個性尊重の時代〟とよく言われています。その意味では、全く同じ特性を持つソメイヨシノを賞(め)でる一方で、それぞれの特性を持った個性的な花を大切にする時代という事になりそうです。
 
我欲を超えるのが真の個性
 
その一方で、多くの小学校や中学校、高校、更には様々な職場でも制服が定められています。この制服の着用は、個性の尊重とは一見、相反しているように見受けられます。
これは仕事では、内容や職種によっては個性的であってはならない場合があるからです。
例えば警察官や消防士のように公に奉仕し、社会の秩序を保つための仕事の場合には、制服は無くてはならないものと言えます。
 
その他にも数多の業種に制服があり、ほぼ同じようなスーツを着用したりしています。
私達僧侶が修行道場で身に纏う、袈裟や衣などの決められた僧衣は、個性を削ぎ落とすための修行に相応しい服装と言えるでしょう。
 
これはまさに、己の個性を殺し、我儘な我欲を抑え、大いなる佛様の世界に身を委ねるために身につける衣なのです。そうして生半可な個性を超えて身についた立ち居振る舞いは清々しく、爽やかな印象を周りにも与えるに違いありません。
 
僧侶の修行だけではなく、全ての仕事が、単に生活の糧を得るためではなく、そこに日々の工夫と「職場は人格を高める道場」との覚悟さえあれば、表面的な個々の個性を超えて、もっと確かな、更に意味のある徳性まで高められた真の個性になるのです。その意味では、自分を鍛える事で真の個性が輝き出すのです。
 
それとは逆に、単に我儘なだけの個性の主張は本当の個性ではなく、単なる我欲の現れに過ぎないと言えるのかもしれません。
 
規則と「持戒」の違いとは?
 
この一見個性を奪っているように言われる事のある制服や、様々な職場の約束事は、前号でお伝えした菩薩の修行としての「六波羅蜜」の二番目の「持戒波羅蜜」に相当します。
 
「持戒」とは、自らの心に『それでいいのか?』と〝戒め〟を振り向け、しっかりとそれを保つのが本来の意味です。そもそも他者から「これをしてはならない」と言われて、はじめてそれを守るというものではないのです。
 
ですから制服を着るのも自らの意志で着用するべきで、職場で決められた約束事を守るのも、自分自身の意志で守るべきなのです。もっとも、小・中学生が制服を着る時は、まだそこまで思い至らないでしょうが。
 
しかし無意識に着ていても、周りから「この子は○○校の児童(生徒)」と見られる事によって、いずれ本人も○○校の生徒らしくなって行く、というものです。実はこれこそが表面的ではない、真の個性と言えるものなのです。
 
近頃は性的マイノリティ(LGBT)に配慮して行こうという国際社会の取り組みの反映で、学校で着る物や持ち物についても従来の枠組みを逸脱するような傾向が見受けられます。
その事の是非はともかく、伝統佛教の立場から思う事は、先の僧衣の例のように、煩悩や我欲を越えるためには、自己主張の前に、自らを一定の「型」に落とし込んでみる事が最も効果的だという事です。
 
日本の学校での制服着用の決まった格好にも、元はそういう意味合いもありました。世評というのは時代によって変わるものですから、日本の学校の制服も、案外、海外から高く評価される日が来るかもしれません。
 
この「持戒」に即して言えば、例えば「十分前には職場に着くようにしよう」と自ら戒めを決めたとします。するとそれを守る事は、人に言われた約束事だから守るのではありません。自分自身で決めた事を自らの意志で守る事であり、その人なりの個性的な生き方を方向付ける元となるわけです。
 
反対に「職場の業務規定や就業規則だけ守っていればよし」とする態度は、却って自分自身の個性を自ら否定していく生き方と言えるのかもしれません。
 
善い生き方へと導く『十善戒』
 
私達が日々『在家勤行次第』の中でお唱えしている「戒」が「十善戒」です。
①不殺生…みだりに生き物を殺さない
②不偸盗…盗みを働かない
③不邪淫…邪な男女の付き合いをしない
④不妄語…うそ偽りを言わない
⑤不綺語…不必要に飾った事を言わない
⑥不悪口…人の悪口を言わない
⑦不両舌…悪しき二枚舌を使わない
⑧不慳貪…貪りの心を起こさない
⑨不瞋恚…不必要な怒りの心を起こさない
⑩不邪見…邪な曲がった見方をしない
 
これを前号でお伝えした真言密教の「三密の修行」に当てはめてみましょう。
①~③は私たちの体で行う【身密】に当たり、④~⑦は言葉遣いの戒めを説く【口密】であり、そして⑧~⑩は心の在り方に関する戒めを説く【意密(心密)】に相当します。
ところで、なぜこれらの戒めを〝十戒〟と言わずに〝十善戒〟と呼ぶのかと言えば、以下に示すように、単なる戒めには止まらない教えだからです。
 
①の不殺生は「単に生き物を殺さない」だけではありません。「様々なご縁のある命を愛おしみ、大切にしていこう」と、積極的に前向きに生活の中で実践していく教えです。
 
②の不偸盗も、「単に他人の物を盗まない」にとどまりません。さらに一歩進み、「自分の財や知識、或いは体で出来る事などを他人にサービスしていこう」という、つまり「布施」の実践へと発想を大転換する教えなのです。
 
③の不邪淫も、「単に男女間の邪な行為を禁止する」だけではありません。男女が互いにその違いを乗り超えて、特性を積極的に活かし合い、助け合っていく事を目指して行く教えです。
 
この性差(ジェンダー)の問題は、近年ではなかなか難しくなってきていますが、伝統的な佛教ではこのように教えてきました。宗教は古臭い、頭が固いとの誤解が一部にあるかもしれませんが、意外に常識的かつ柔軟な教えではないでしょうか?
 
このように「十善戒」は、単なる約束事や決まり事の範囲を超えて、より善き生き方を目指していく次元にまで高めていくための教えなのです。
 
「~しない」から「~する」へ
 
ここまでが私達の身体に対する戒めです。
次の④不妄語から⑦の不両舌までが言葉に対する戒めですが、「十善戒」の内の四つと一番たくさんあります。それは言葉による過ちが最も多いからとも考えられますし、「言葉遣いを変える事で、人は変わり得る」という教えからでもあるのです。
 
④の不妄語は「妄語をしない」「嘘を言わない」という戒めですが、これも「~しない」という単なる禁止にとどまりません。「相手を喜ばせる言葉や、思い遣りのある言葉で励まして行こう」と前向きに、善い意味合いに捉え直して積極的に実践して行こうとする教えなのです。
 
昔の大阪では、丁稚さんが一人前になったかどうかを、「相手が『おだてられている』と気付かないような〝おべっか〟が言えるようになったかどうか」で見極めるというのがあったそうです。
 
これは⑤の不綺語とも関連します。
相手が気持ち良く感じ、不愉快な気持ちにならず、実害も無ければ、これは妄語や綺語、悪口や両舌には当たらない、さらには言葉による「布施」という事が出来ます。このように言葉によって周りを和やかにし、時には相手に勇気を与え、さらには人を癒したり励ます事が、「十善戒」の中の「口密」を実践する教えなのです。
 
人を喜ばせる「二枚舌」とは?
 
私の恩師に、多くのカップルの仲人さんを務めた方がおられました。この方のお話を聞いていると、まず決して人の悪口を言われません。それどころか、必ずその人の良い所を見つけて誉めておられました。
 
例えば⑧の不両舌の、この「二枚舌」は、使い方次第で人と人を喧嘩させる事が出来ます。ところが反対に、先の恩師のように互いの長所を上手く伝えていく事で、その二人を結婚にまで導いていく事も出来るわけです。これは良い意味での「二枚舌」とも言えるかもしれません。
 
このように「十善戒」は、ただ与えられた決まり事や命令、規則として受け止めるのではなく、前向きに積極的に受け止めて、実践して行くことが大切なのです。そしてより一層自分の個性を発揮して、生活の中で自分らしく実践していく事が、「十善戒」の説く本来の教えなのです。
 
言葉に込める思いが善い生き方を導く
 
「十善戒」には体に関する戒めが三つ、言葉に関する戒めが四つ、そして心に関する戒めが三つあります。
 
言葉についての戒めの中で、どれか一つか二つ、自分の得意な分野から、自分にも出来そうな所からぜひ始めてみてください。
 
その時「相手や周囲の人を喜ばせよう」という思いを持って接し、話をすれば、必ずや相手に伝わるはずです。
 
これを続けて行く事によって、これまでと違う生き方に変わり、それが良き個性になってその人を輝かせるに違いありません。
 
どうか、皆さんも新年度の始めに当たり、「十善戒」の一項目でも前向きに積極的に生かして、新たな気持ちで歩み出して下さい。合掌




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