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2018年07月16日大日乃光2212号 貫主権大僧正様御親教
信者の苦難に寄り添う智慧と慈悲の特別指導 

智慧と慈悲を親心に喩えた道歌
 
心に浮かぶ道歌。昔の人びとが佛道を歩む、人生を歩む。そういう時の頼りの杖ともなる言葉がいくつもあります。その中に、
 
「父は照り母は涙の露となり 同じ慧にそだつ撫子」
 
という一首があります。カンカン照りの暑い太陽の日差し、そして優しくシトシトと慈しむように降り注ぐ雨。この太陽と雨露が全く違うように、父親の厳しさと母親の優しさも全く違いますが、この二つの親心に恵まれながら子供は育っていくという事です。
 
先の八百五十年大祭は五月十二日がカンカン照りで、明けて十三日はシトシト雨が降り続き、まさに佛様の智慧と慈悲を象徴するような二日間でした。
 
先の道歌は奈良時代か平安時代に出来た歌だと思います。佛様の慈悲と智慧をお父さんの厳しさ、お母さんの優しさに喩えてあるわけです。実はこの背後には佛様への信仰があって、まだ信仰に至っていない人の事を子供に喩えているのです。優しいだけが佛様ではないし、厳しいだけが佛様でもない。厳しさの中にも相手に対する深い思いや愛がある。
 
そして弱ってもうほとほと困ってしょげかえっている人に対して「どうしたんですか?」と手を差し伸べられる。そういう優しいお救いを「干天の慈雨」と申しましょうか、何日も暑い日が続く中でシトシト雨が降ると植物が目にも鮮やかに生き生きと蘇るように、私達も佛様の慈悲を「あー有難いな」と感じる。
 
この強く光輝く厳しい愛と慈雨のような優しい愛は、実は表裏一体のものという意味です。

極限の苦しみに寄り添う特別指導
 
つい最近、非常に厳しい相談を受けました。十年近く付き合ってきた若い男女がいて、今年には結婚しようかと、お互いのご両親にそれぞれ紹介し合い、皆もそろそろ結婚すると思っていた矢先、何とも理不尽な事に、その女性が通り魔に殺されたのです。私は三ヶ月前にこの事を聞き、すぐに「成佛供養をお願いします」と言われて一所懸命供養を修しました。まだ三ヶ月経ちませんので、彼は仕事も手につかないようでした。
 
このように打ちのめされ、立ち直ることのできないほど辛く理不尽な出来事が降りかかってきた彼に、「これにも何か深い深い意味があると思います。そしてこの事にあなたがどのように向き合っていくかによって、あなたのこれからの人生が決まるのかもしれません。自分をもう一回深く見つめる意味で内観をしてみたらどうですか?」と、内観を勧めました。東京の方で、ご両親は熱心な信者さんなのです。
 
そういった意味で「内観」を通じてお父さん・お母さんの愛を、そして彼女と巡り合い積み重ねてきた十年の歳月を振り返りながら、彼自身の悲しみが少しずつ癒されるか癒されないか、また次に歩み出す勇気が出るか出ないかは本人次第です。
 
しかしそこで、やはり信仰している人は一味違う別の生き方が始まるという事を約一時間近く話しました。「何でこんな事が起きるのだろう」「辛く悲しい」「本当に厳しい」そう訴える彼に、悲痛極まる状況の中でも懸命に生きている沢山の人々の話を伝えました。
 
最悪の試練にさらされながらも輝きを失わないチベット人の信仰
 
十年前の五月十二日は、中国の四川省で大地震が起きた日でした。そのわずか二か月前にはチベット動乱が勃発し、自分達の文化、佛教を守りたいと立ち上がった人々が弾圧され、何千人という人々が虐殺されました。当時チベットの人達の大変悲惨な映像が世界中を駆け巡りました。私達は五月の四川大地震の前までに、チベット支援の会を立ち上げていました。
 
そして少しずつ意識が広まる中、十年前の六月十八日の第一回目の結集では三百人を超える僧侶が宗派を越えて東京の増上寺に集結しました。
 
そこでよくよく調べてみると、地震にあった地域の三分の二は、実はチベット人が多く居住する地域だったのです。それから二年後にも玉樹という地域で地震がありましたが、そこもまたチベット人の多く住む地域でした。
 
なぜチベット人はこれほどの試練を与えられるのだろうかと、このような非常に辛い情況を、チベットの人達は一体どのように受けとめているのだろうかと。
 
そういう中でも自分達の佛教を守りたいという人達がたくさんいて、昨年の七月にインドのブッダガヤで開かれたダライ・ラマ法王猊下の灌頂を受けようと、五万人近い人達が集まって来られました。
 
チベットから出て行けばおそらく帰れない、もし帰ったら拘束されるという片道切符です。それでも佛法の教えに触れたい、生きた観音様のお姿に触れたいという必死の思いから、なけなしのお金をはたいて沢山集まって来られるのです。
 
そういう現実を見た時に、信仰の力というものがいかに凄い事なのかを実感します。信仰には、政治的な圧力や組織的な弾圧をいくら加えても決して屈しない強さがあるのです。
 
苦難の時こそ生き方が問われる
 
この話を彼がどのように理解されたかは分かりません。しかし、あなたも今まさに、理不尽で悲痛な境遇に身を置かれ、それを自らがどう理解し、どう受け取めるかという、そういう岐路に立たされているのですよと伝えました。
 
信仰しているから自分には運のいい事が起きる、いつも救われているという風に沢山の方が感じておられますが、それでもなおどうしようもない自然の摂理や天変地異であったり、そして巡り合わせのちょっとした行き違いに遭って、時に残酷な現実に直面させられる事はあるのです。
 
先の青年の恋人を殺した殺人者がどういう事情で人を殺したのか、詳しい事はわかりませんが、昨今はそういう事件が結構あります。探ってみれば、過去からの因縁の積み重ねが今そこにぱっと出てしまった様に感じられます。
 
この日はこの青年の他にも、全く異なる形で非常に苦しんでいる方が相談にみえました。この方は厳しく苦しい経営を続けている上に、ご自身がステージ3から4に移ろうかという肺癌に罹っていると言われました。
 
今、私は癌の人を三十人位拝んでいます。毎朝拝む時、性根を入れて拝んでおりますが、そういう方にどのように話をするのかと言えば、祈願祈祷はもちろん精一杯致しますけれども、もう一つ「どのような心構えで生きて行くのか?」が、それと変わらないくらいに大事だと伝えています。どのような心構えで病気や不幸と向き合うのかという事です。
 
病苦災難は悪しき因縁が解ける好機
 

京セラを設立された稲盛和夫さんという人がおられます。その人の本を読んで、なるほどなと思う事がいくつもあります。その中の一つを紹介します。稲盛さんご自身が大変な苦難に直面されて病気にも罹り、ある人に相談をされた。するとこう言われたそうです。
 
「稲盛さん、それはいい事だよ。よかったじゃないか」と。
稲盛さんは「何て事を言うのだろう?」と思ったそうです。すると、
「今まさに、過去のあなたが積んだか先祖が積んだか知らんけれども、悪しき因縁が今解けているんだよ。病気と向き合って苦しんでいる事が、まさに過去の悪しき因縁が解けている時なんだよ」と、こういう言い方をされたそうです。
 
「なるほどそうなのか。自分が作った因縁じゃなくても、自分の先祖の因縁かもしれないが、今解けて行くというなら有難い事だ。しっかりこの苦しみを受けよう」と思ったそうです。
 
それからというもの、運命の受け入れ方によってその後の歩みが変わっていくと確信するようになったそうです。そして稲森さんは、この事が大きな転機になって病気が少しずつ快方に向かい、会社の業績も上がっていったということでした。
 
病気災難に遭った時は悪しき因縁が解けて行くと、解けていくんだ、という稲盛さんの話はなるほどなと思います。
 
佛智慧に基づく厳しい試練に慈雨の如く寄り添う代受苦行
 
特に私は僧侶ですから、それに加えて人々の苦しみを少しでも、そのほんの一部でも苦しみを引き受けさせていただく。これを「代受苦行」と言います。代わって苦しみを受ける修行です。
 
真如大僧正様を「代受苦の菩薩様」だったと、ある人が仰っておられました。人々の苦しみを代わりに受けて頂ける菩薩様のような方だったと。私が尊敬する曹洞宗のお坊さんが、そういう事を仰っておられました。
 
そういった意味で、私達真言宗の僧侶は人びとの苦しみを代わって受ける行をさせてもらえる、させられる、そういう心構えをもっており、悲しみに沈んでおられる方々の少しでも近くに寄り添う事が出来るという風に感じました。
 
これも佛様の智慧に基づく非常に厳しい試練であり、その事を体験させて頂く事によって、優しいこの慈雨のような心にもなれると思うのであります。
 
どうか皆さんも苦しく辛い時には、「これは悪しき因縁が解けている瞬間なのだ。その時期なんだ。もっと時間が掛かるかもしれないけれどもしっかり苦しみと向き合って行こう」と思いながら、どうか日々を力強く雄々しくお過ごしください。合掌




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