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2017年09月18日大日乃光第2187号 貫主権大僧正様御親教
「三信条」の実践を深めて皇円大菩薩様の御心に近づこう 

朝夕は随分過ごしやすくなり、秋が着実に近づいているように感じられるこの頃です。皆さん厳しかった夏を無事に乗り越えられたでしょうか?
 
先月は護摩を焚いていると汗が流れてくるのでタオルが必要でしたが、今やさっぱり不要になりました。とても有り難い事です。
 
それと同時に、もう一年の三分の二が過ぎて、残りは三分の一となりました。稲穂も今まさに実を付けて、これから垂れさがって行くという、まさに収穫の時期へと向かっています。
 
『大日経』に説かれた「三句の法門」
 
さて十日に一度出す『大日乃光』ですが、これは大日如来の大日です。皆さん方はこの本堂におられる皇円大菩薩様と違って、大日如来という佛様を普段あまり意識されないと思います。
 
今、本院の境内に塔が二つあるように、大日如来にも二通りあります。胎蔵界、即ち慈悲の世界の大日如来と、今まさに顕現しつつある金剛界、智慧の世界の大日如来です。
 
大日如来は正確には「摩訶毘盧遮那佛」と言います。「マハーバイロシャーナー」というインドの言葉を漢字に当てはめた表現です。
この大日という名前の付く『大日経』というお経があります。正確には『摩訶毘盧遮那成佛神変加持経』という長い名称で、更になじみがないと思います。
 
十三日に必ず唱えている『理趣経』の数百倍ぐらい長いお経です。その中には中心的な考えがいくつか記されています。その中で佛様のお働き・佛様の智慧について、三通りあると説かれています。
 
佛様が人びとをお救いしようとなさる時に三つの段階のお働きがあり、それを「三句の法門」と言います。真言宗では有名な言葉で、真言宗の僧侶は必ず知っている言葉です。今日はその「三句の法門」を通して当山の信仰のあり方をお話しいたします。
 
「三句の法門」に示された大慈大悲のお救いの御心
 
三つの句と言えば、皆さんにとっては「反省」「感謝」「奉仕」の蓮華院の「三信条」が思い当たると思います。この『大日経』に説かれている佛様を、皆さんは皇円大菩薩様と思って聴いて下さい。
 
皇円大菩薩様の私達への働きかけには三段階あるという事です。
「三句の法門」とは、
「菩提をもって因と為し」
「大悲をもって根と為し」
「方便をもって究竟と為す」という事です。
「究竟」は究極という意味です。
 
私はこの言葉に最初に触れた時、「そうなのかー」と大きく魂をゆり動かされる感動を覚えたのを鮮明に憶えています。これは佛様が私達を助けようとしておられる時の心の状態という風に解釈されます。そして実はもう一つ、私達衆生が佛様に近づいて行くための手だてや段階、ステップアップしていく時の心構えと考える事も出来ます。
 
先に、佛様が私達を救済される時のお心の状態として考えてみます。「菩提をもって因と為す」とあります。「菩提」とは、絶対的な悟りの世界を求めるその心持ち。それを根本的な出発点、つまり「因」と為すと。そして「大悲をもって根と為す」。
 
皇円大菩薩様が龍神に身を変えて私達末世衆生のために修行に入られた時の、「人々が大きな悲しみに沈んでいる姿を黙って見過ごせない。何とか救いたい」という、まさにこのお心が「大悲」の心なのです。
 
これを根本精神、根っことして、そこから根が張り様々なものを吸収します。この根となるものは、大いなる慈しみの眼差し、大きな慈悲のお心なのです。
 
「方便」こそ、究極の手立て
 
その慈悲の心で具体的に人びとに働きかけられる時に、次の「方便をもって究竟と為す」と、お働きが展開して行くのです。
 
一般に「方便」と言えば〝嘘も方便〟があまりにも有名で、方便と聞けば嘘という風に勘違いする人がいます。本来の方便は「手だて」の事で、現代風に言えばノウハウ、ハウツー、どのようにしてという事と解釈してください。
 
ですからあらゆる手だてを全て駆使して、人びとを良い方向に向かわせようとする佛様のお働きは「究極的にはこの方便なのだ」というわけです。ですから佛像として佛様がお姿を現わされる(顕現される)のも「方便」であり、五重塔や多宝塔を建立するのもこの方便なのです。
 
更に身近な事では、佛様に向かってお経本を読む事も、お唱えする言葉も実は手だてなのです。そしてさらには様々な御祈祷も手だてです。そして私が今お話ししている法話もまさに方便です。
 
例えば中秋の名月が出たとします。子ども達に「ほら見てごらん、月が出てるよ」と指さします。しかし子ども達が指先ばかりを見ていたら、いつまで経っても月は見えません。指先の遥か彼方に目標物(月)がある事を言って、指先で示さなければ分かりません。そういう風に指をさして方向を示したりする事を「方便」というのです。
 
御加護を頂いて終わりではない!
 
ここまでは佛様の側からの見方です。では私達衆生の側から『大日経』の「三句の法門」を見てみましょう。これを非常に分かりやすく噛み砕き、より身近な言葉にしたのが「三信条」なのです。
 
最初に「自分はこれでいいんだろうか?」と「反省」があります。これは「もっと向上したい」「もっと人間性を高めたい」という菩提心の発露であります。そして「もっと幸せになりたい」という願いは生きて行く力、エネルギーやパワーの源にもなります。
 
最初の出発点は、「これじゃいかん!今の現状に満足してはいかん!!」という気持ちです。そして「では何が足りないのか?」「何が欠けているのだろうか?」「自分は何を為すべきなのか?」という風に自らを振り返ります。
 
その中で「自分はこれだけ恵まれている。佛様の慈悲を沢山頂いているじゃないか。何と有り難いのだ」と気付きます。「三信条」における次の「感謝」です。自分の生活の中でより身近に有り難さを実感し、ひいては佛様の大慈大悲を、御加護を頂いている事への感謝の気持ち。「有り難い!」「もったいない!」となります。
 
そしてそこで終わりではありません。今度は自分自身が小さな鏡となって佛様の光を反射していく、または小さな灯となって周囲を照らす、そういう事が求められるわけです。
 
向上心と慈悲の心が菩提の種
 
菩提心(向上心)には大きく二通りの要素があります。根本の前の「因」です。「因」とは何かと言えば、自分自身の少しでも成長しようと思う気持と共に、人びとを何とか一緒に良い方に引っ張り上げて行きたいと思う気持ちを同時に持つ事。
 
自分が恵まれていると思ったらそれを人様に分け与え、何か応援して行こうという気持ちを同時に持つ事です。右手に向上心、左手に慈悲の気持ちで、他人の痛みを感じたら何か手助けせずにはいられないという気持ちを持つ事です。
 
佛様の「方便」が救済のための具体的な手立てであるとするならば、私達は日々それを自分の心や体に受けて「有り難いなー」と思った時に、何か周りのために少しでも良くなることをしようと思う気持ち。そういう気持ちを持つ事がとても大事であるという事です。
 
『大日経』は非常に難しいお経ですが、そういう事がその中に書いてあるのです。また、このお経では、最終的に人びとが本当に幸せになり、また究極の悟りは何かについて次のように説いています。
 
それは、ありのままの自分をそのままに受け入れて、今のその姿をそのまま理解して、「あー自分はこういう人間なのだ」ということを本当に理解する事。自分にはつまらない所がいっぱいあるけれど、しかし御加護を頂いて、今生かして頂いている。これは有り難い事だなーという風に理解する事。
 
またもう一度「三信条」の「反省」「感謝」「奉仕」を循環していく中で、自分自身の中に佛様の「種」とも言える慈悲の心、慈しみの心を頂いていると理解する事が出来ます。
 
佛様との魂の交流が幸せへの道筋
 
私達はこれをいつもいつも感じる事が出来なくても、例えば無心にお参りする時、自分自身が佛様と魂の交流をする中で、佛様と自分自身の区別を感じなくなる、恍惚となることが時にあります。
 
恍惚と言うか一体感と言うか、そういう事を少しでも味わって、「あっ自分は今、佛様の分身として生きている、生かされているんだ」という実感を持てるかどうか、そこにかかってくるんです。
 
「自分は恵まれている」「有り難いなー」と思って生活するのと、「沢山不満がある」と思って生活するのとでは、全く同じ条件にあっても、その心のもち方によって今の生活を幸せと感じるか感じないかが違います。
 
たとえ自分がまだ十分にお恵みを受けていないと感じていても、それでも「有り難い」と思った気持ちを具体的な形で周りに出していけるかいけないか。そこにその人の幸せの一番大事なポイント、生き方の転換があるのです。
 
そういった意味で『大日経』の「菩提を因と為し、大悲をもって根と為し、方便をもって究竟と為す」は身近な言葉ではありません。けれども、私達の生き方に影響を与えている蓮華院の「三信条」=「反省」「感謝」「奉仕」には、大元にこういう原典があって三信条が出ているという事を理解された上で、より一層「三信条」を深めていって頂きたいと思います。合掌




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