2025年12月26日大日乃光第2441号 貫主権大僧正様御親教
小欲を超えた大欲に心を致し輝かしい新年を迎えよう
小欲を超えた大欲に心を致し輝かしい新年を迎えよう
逆境を跳ね返し、光り輝く年
全国の信者の皆様、そして本誌を変わらずご愛読頂いている有縁の皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年、令和八年は丙午(ひのえうま)の年です。 これはどういう意味かと言えば、丙と午は両方とも燃え盛る火を表し、一般的には真夏の太陽のように最も強くエネルギーを発する年という風に言われています。そして時代の変化を印象づけるような出来事が起こる年になるというのが、この丙午の年です。
また「ひのえうま」と聞いて、年配の方の中には、この年生まれの女性は気性が荒くて縁起が悪いと、女性の出生率が低下したり、結婚や就職で不利になる事もあったと憶えておられているかもしれません。これは江戸時代の「八百屋お七」にまつわる俗説によるもので、実際には六十年前の丙午の年(昭和四十一年)は、日本の総人口が初めて一億人を超えた年でした。 そして今日では価値観の変化もあって、「情熱的で力強い女性の年」と前向きに捉える人が増えてきています。
さて、今年はどういう年になるかという事で、私なりに前向きに積極的に解釈して予想してみると、まず強烈な存在感を発揮する人物が注目される年になるでしょう。 また同時に一白水星の年でもありますので、人によっては苦難に耐え春を待つ準備の時、忍耐強く明日の成功を待つ年にもなると私は感じています。 そして苦難に負けずに立ち上がっていく、そういう人が逆境を跳ね返して光り輝く年になると確信しています。
家庭のルールを話し合おう
さて、そういった一年を迎えるに当たり、私達は人として具体的にどうあるべきかというお話をこれから致します。 毎年、お正月には必ずお伝えしてきた事です。
かつて、先代真如大僧正様はお正月の御法話で、 一日の計は朝(あした)にあり 一年の計は元旦にあり 十年の計は木を植うるにあり 百年の計は子を教うるにあり と、この「百年考」を必ずお話しされました。
この中の「一年の計は元旦にあり」の言葉通りに、年頭に当たり、家族全員で話し合って、輝かしい目標を立てて頂きたいと思います。 また家族みんなで守るべきルールも決めて頂きたいと思います。 同時に、家族の一人びとりも、自分なりの目標を立ててみて下さい。
この様に、家庭団らんの中でそれぞれが目標を立て、また全員で共通の目標や新たなルールを形作って行く中で、明るく楽しい活気ある家庭が育まれて行くのです。
三つの生活習慣を心掛けよう
この「百年考」と共に、毎年お正月には三つの事をお伝えしています。
一、朝から家族でお互いに挨拶し合う事 家庭でも職場でも、まず朝の挨拶を交わし合う事で一日が気持ちよく始まります。 家庭ではご先祖様へのご挨拶として、仏檀や神棚に向かって朝のお参りも致しましょう。
二、三度の食事の時、必ず「いただきます」と「ごちそうさま」を口に出して言う事 家庭で食卓に並ぶ料理は、動物も植物も、その全てが元々命のあった生きものです。「いただきます」はその命に対して「あなたの命を頂戴し、私の生きる活力にさせて頂きます」という言葉です。
「ごちそうさま」は『馳走』と言って、走り回って食べ物を集めた人や調理して頂いた人に感謝しますという言葉です。世界中で食物を作って頂いた方、それを運んで頂いた方に思いを馳せてみて下さい。 この良き習慣を、ぜひ着実に実践して頂きたいと切に念じております。
三、履き物を揃える事 玄関の履き物がきちんと揃っている家は、意外と少ないのではないでしょうか? 家族の一人が外出する時、帰った時、他の履き物も必ず揃えるようにしていけば、二~三ヶ月もしない内に家族全員の履き物が揃うようになります。そして履き物を揃える事は、家族の心が揃う前提になります。
また履き物を揃える事は、玄関で一度足元を見つめ、心を落ち着かせる事にもなります。この事は家族の心を静め、お互いに助け合う習慣の土台になるのです。
家の入口で履物を脱いだり履いたりする習慣があるのは、日本の伝統文化の一つの特徴と言えます。 こういった一つ一つの習慣を大切に守り伝えて行く中で、私達日本人の感性が育まれ、今に伝わる伝統文化を形作って来たのです。
欲望を肯定的に捉えた真言密教
以上の三つの良き生活習慣に、今年も真言密教の教えから一つ付け加えたいと思います。 「小欲知足」など、仏教をはじめ様々な宗教では、またあらゆる倫理道徳や哲学などでは、人間の欲望を抑えて減らしたり、無くしていく方法を教え伝えてきました。 節分豆まきなどで度々お伝えしている「貪・瞋・痴」の三毒の中の「貪」は欲へのむさぼりという煩悩の事です。
しかしここで、逆転の発想で「大欲は無欲に似たり」という言葉を掲げてみたいと思います。 この言葉は、「大望を抱く者は、小さな利益など顧みないから一見無欲のように見える」とか「欲深い者は、欲に目がくらんで損を招きやすく、結局無欲と同じ結果になる」というのが本来の意味です。
しかしここで「大欲」を世の中全体、社会全体、世界全体がより良くなりますように、平和でありますようにという意味の大きな欲として解釈します。 この場合、自分のためだけの願い事は「小欲」であり「大欲」には入りません。
周りが良くなれば良い。どうか隣近所が幸せでありますように、とか、この地域が発展しますようにという願いも大欲になります。
先の奥之院大祭の柴燈大護摩祈祷では、 「願はくは、ここに集いし善男子善女人よ!己れ一人の為の祈りを越えた祈りに心を致したまえ。 その祈りの和合の力によって、広くは地域社会、国家社会、国際社会に及ぶまで、等しく利益のあらん事を祈りたまえ」 と奏上し、皆さん達と祈りを結集しました。
これは自分自身が無欲になる事に通じるのです。 これが仏教が編み出した究極の「無我の行」です。
大欲を胸に新たな年を迎えよう
大晦日の除夜の鐘で百八回梵鐘を撞くのは、人間には百八の煩悩があるからとお伝えしています。 梵鐘を撞く事で百八の煩悩を滅する事が、仏教の究極的な悟りへの道筋だと教え導いています。
しかし密教になると、それを大転換するのです。 小さな欲を一つ一つ滅して、全ての欲を無くす事で悟りに近づいていく。 しかしこのような言わば消去法ばかりでは、ともすると人を萎縮させ、心の中の本来の仏性をも埋もれさせてしまいます。
そうではなくて、自分をより良くするために、逆に大きな欲を持つ事。先程の我欲に基づかない大きな欲という意味です。 それをしっかりと信念に持ちながら、家庭を明るくするために、まず自分自身が明るくなろうと自分から挨拶をする。 これが大欲に基づく行動の第一歩です。
人よりも金持ちになろうなどというのは小欲です。また「あの人は欲深い」という場合の欲は、小さな欲の塊でしかないのです。 このように人の欲というものには、必ずしもマイナスなイメージばかりあるのではないと、発想を大転換させたのが真言密教の新面目なのです。
これは現代にも通じる考え方ではないかと思います。 皆さんも小欲と大欲の違いをしっかりと見極めて、ご先祖様を大事に、家庭の中をしっかり整え、夫婦仲良く、兄弟仲良く、親子睦み合う事。これをぜひ実行して下さい。
子や孫達の未来の幸せのためにも、自分自身の後ろ姿や生き方を通じて次の世代へ、また次の世代へと、良き日本の文化を伝えて頂きたいと、切に願っております。
どうか皆さん達にとって、新たな年が明るく希望に満ちた一年になりますようにと、御本尊皇円大菩薩様と共に心よりお祈り致しております。合掌

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