今号は、大阪の竹下様から送られてきた、株式会社大阪マルビル 会長 吉本 晴彦氏の講演の要約を皆様にお送りしたいと思います。お金持ちになる方法と仏教精神の不思議な結びつきをご覧下さい。
(1)自分の眼が開かれたとき
北九州市に住む向坊さんは、大学2年20歳のとき、夏休みの帰省中の交通事故で頚椎(ケイツイ)を損傷し、首から下の運動神経が麻痺して、ひとりでは身動きできない体となりました。
その絶望の中で仏教にめぐりあい、生きる勇気を得てからは、フイリッピンに障害者のためのグリーンライフ研究所をつくり、インド、アメリカ、中国など海外へ何度も出かけ、みずからの体験をもとに国内外で仏教の講演をこなしたり、ネパールに仏教研究所をつくるなど、不自由な体を感じさせない活躍を続けています。
向坊さんは、{何もかもに恵まれていると、なかなかありがたみがわからない。例えば空気でもたくさんあると、水もふんだんにあるとそのありがたみがわからない。健康も損なわれて初めてありがたみがわかる。
わたくしのように手足の自由を奪われ、また排泄から何からすべて能力がなくなってくると、生かされていて、そして朝、目が覚めて、普通どおり呼吸ができて、食べられて、そして夜眠りにつけるということが非常に単純なことですけれども、そのことだけが非常にありがたくてしようがない。それがやっぱり違うと思います。
五体満足ですと、なんでおれがこんな目にあわにゃいかんのかと恨む。例えばわたしが他人から後ろ指をさされることは一つもしたことがない、罪を犯したこともない、悪いことをしたこともない、なのになんでおれはこんなひどい目にあわなきゃいかんのかというふうに思うんですが、それはやはりまだまだ自分の眼が開かれていないのです、いのちに対してですね。
わたくしたちはよく考えてみると、その大きな親のいのちに対して背いたり、罪を犯したりしながら、しかしそれでもなおかつ生かされているという事実がだんだんとわかってくるんですけれど、なかなかそこまで至らない。健康が損なわれてきて初めて徐々に徐々にそういうところに眼が開かれていくといううことじゃないでしょうか。}と言われている。
(2)"まさかの坂"坂でも平常心
石川洋氏は、著書{無いから出来る}の中に、人生には3つの坂道があるという。 一つは"上り坂"、二つは"下り坂"、三つは"まさかの坂"である。
上り坂と下り坂は人生の常である。人は、時には上り坂の幸せを味わい、時には下り坂の辛さに落ち込む二面性を経験するのである。それでも人間は上り坂のみを求め、競いながら、下り坂の悲哀を経験していくのである。
したがって、人生の重たさを体得した人は、上り坂の時には驕(おご)らず、感謝と謙虚さを守り、下り坂の時には、自分を駄目にせず、明日を信じて生きることを知っているのである。結局は、人生の安定は、上りでも下りでもない{平常心}を養うことにあるのである。と述べられている。
(3)体験して分ったこと
私(竹下)は、去る8月14日テニス練習中に右足踝(くるぶし)の骨折をしました。 少し不自由になって感じたことは、ビッコを引きながらの歩きは、大変みじめな思いがすることと、早く歩いている人を見るとうらましくなり、情けない感じを覚えたことです。
日頃、"おいあくま"(怒るな、威張るな、焦るな、腐るな、負けるな)と心に言い聞かせているのですが、いつのまにやら、"おいあくま"が消えてしまう。
足を骨折したのは、相手が方向違いに打ったからとか、デコボコのグランドではなく、もっと整備してあればとか、他人に原因を持っていくことがある。その日は、テニスのネットを張りが終わってから来る人に対して無性に腹がたってしまった。
まだまだ奉仕の精神、謙虚な心ができていない自分を反省するようにと、天罰が下ったのではないかと思う。原因は内にあり。もっともっと、大きな・広い心を身につけるよう教えられたのだと感謝している。
趣味として、24時間100`ウォークが好きでよく参加します。のどが渇いたときに飲む水のうまさや、ありがたさは体験して初めて実感することである。寝ずに完歩した後、家に帰って布団の中に横たわる喜びは、なんとも言えない幸せを感じる。この喜びを味わうため、また、常に人間として正しい考え方の原点に戻るためにも、こういう体験は大切だと思う。ある高校では、耐久100`ウォークがあると聞いている。人間教育にも大変有効だと感じる。
(1)大切にすると金は寄ってくる
不自由を体験すると、有り難さが分る。有り難さがわかると。人や物や金、そして地球に対してもあり難いという、感謝の心が持てるようになる。"感謝の心"がでてくると、人や物や金、そして地球を大切にしようとする心がでてくるのもである。
どけち教 教祖吉本氏は、
{金を大切にするものには、金が入ってくるが、粗末にするものは、出ていったら戻ってはこない。よく、ゴルフでグリーン上に100円硬貨をマーカーにする人がいるが、金を地べたに置くほど粗末にしている行為はない。とにかく"もったいない・もったいない・・・・"という心が重要である。
『もったいない』とは、自分の身分にとって、ありがたすぎて、おそれ多いこと。ゴルフのテイーショットでチョロしたときにつかう“もったいない”とは意味が違う。
しかし、自分にとって価値のあるものに投資することは必要である。例えば、健康。命をまもることは重要なことである。また、時間は2度と戻ってこないため時間を大切にすることも価値のあることである。}
(2)"感謝の心"は万能薬
医学博士の堀田忠弘氏は、{慢性の病気を治療しながら思うのは、病気が生命体や魂から発せられるメッセージではないかといううことである。人間としての考え方や生き方に反自然的なものや良心に反するものがあると、それに気づくためのサインとして、いろいろな身体の異常を起して知らせてくれると考えられる。
このため、身体の異常を感じた場合、その原因について何か反省するものがあれば、その点を修正していくと、病気の回復も早いように思えます。
また、心配や不安、淋しさ、悲しみ、怒り、恨み、妬みといったマイナスの思いを強く持っていると、それだけで免疫機能はぐんと落ちる。それが陽子なり中性子の波動の歪みを生じ、ウイルス感染にも通じると考えられている。
治療をしていると、病気のほかに心配や不安など絶えない方は、病気の治りが悪いのも事実である。こうしてみると、病気は自分自身がつくり出している部分もかなりあることになる。つまり、逆にいえば、自分で治せる部分もかなり大きいということになる。
人間は怒ると脳内にノル・アドレナリンというホルモンが出てくる。これは神経伝達物質の一つだが、これを正常な方に注射すると猛烈に苦しくなり血圧が上がる。すなわち、常に怒っていると血圧も上がり、老化も進み、体調も悪化、いずれ病気になると考えられる。
これを中和してくれるベータ・エンドルフインは、若さを保ち、がん細胞に拮抗し、気分をよくする働きがあるといわれる。それには、すべてを肯定的にとらえることである。日常生活上の不満や怒りを抑え、いつもニコニコするよう心がける。起こったことはすべて自分にとって必要なことと受け止めるプラス思考をする。
加えて、日常つかっている言葉も非常に大事である。オーリング・テストをするとすぐわかるが、非難や怒りの言葉を発すると、途端に指の力が弱まる。逆に、感謝の言葉だと指の力が強まるのである。ちなみに【お陰様で】という言葉をつかう人々は治りが早いようである。
感謝するというのは非常に強いプラスの波動を出すようである。たとえば、身体の悪い部分を少しでも刺激すると、身体の力も指の力も弱まるが、このとき、感謝の心を持ち続けてもらうと、そういった反応は全く起こらないのである。"感謝の心"は万能薬といえる。}
"感謝の心"を持つと、病気にならない、病気にならなければ医者にかかる必要がないわけで、高い医者代、治療代がいらないため、当然、金は貯まる理屈である。
(3)悪魔のサイクル・天使のサイクル
人生や店・会社の経営には{悪魔のサイクル}と{天使のサイクル}があり、成功するには天使のサイクルを回すようにしなければならないといわれています。
悪魔のサイクルというのは、いくら一生懸命頑張っても一つも良くならず、悪い方へ、悪い方へと行くことをいい、天使のサイクルというのは、何をやっても、良い方へ、良い方へと向いていくことをいいます。
どうしたら天使のサイクルを回せるのでしょうか。それは{俺が俺が}という自己中心の発想ではなく、お客様や周りの人など、他の人のおかげであると考えるとともに、すべての人に感謝をするようになることだといわれます。
私たちは自分中心で、常に自分は正しいと考えていますが、これではうまくいかないのです。間違いに気づくことができませんし、自分を変えることができなくなるからです。自分を変えることができなければ、世の中という{善のサイクル}に乗ることはできないのです。
すべてにおかげさまという心と、ありがたいという感謝の心を持つことによって、自分が変わり、天使のサイクルが回り始めるのです。('99年5月仕事の記録帖)
(4)感謝と謙虚の心は人間的成長
{実るほど頭を垂れる稲穂かな}という言葉があります。人は、ちょっと力がつくとすぐ鼻高々になり、謙虚さを失いがちですが、それは恥ずかしいことであり、力がつくほど稲穂のように頭を下げ、下座につく気持ちになることが大切で、そうでないと立派な人にはなれませんよ、ということを教えたたとえです。
私たちは、仕事を成功させたり、セールスで好成績を上げたりすると、あたかも自分一人の力でそれをなし遂げたかのように振る舞ったり、自慢したりしがちです。しかし、自分一人でなし遂げたように見える仕事でも、数多くの人の協力を得ているものなのです。
それだけに、全部、自分の力でなし遂げたように尊大に振る舞い、周囲の人のお陰であることに感謝しない人間は、たとえどんなに成績がよくても、長続きはしませんし、人間としての成長もストップしてしまいます。
仕事で成果をあげ、自信を持つたびに、それは他の人の協力のお陰であると深く感謝するとともに、仕事の目標とするレベルはもっと上にあることを知り、謙虚に振る舞うことが大切です。感謝と謙虚さを忘れては、人間として大きくはなれないのです。(98年10月仕事の記録帖)
(1)考え方が変われば人生が変わる
スイスの哲学者アミエルは、
自分の考え方が変われば、
行動が変わる。
行動が変われば、
習慣が変わる。
習慣がかわることによって、
性格が変わり、
人生が変わる。
と言っている。
考え方がわかったら実践である。
どけち教 教祖吉本氏は、{毎朝夕、"感謝の心"をもち、ご先祖が祭ってある仏壇に手をあわせている。お爺さんのしぐさを孫もマネをする。}といわれている。そうすると家族全員がそれぞれが、人格をそなえた人間に成長し、健康で円満な家庭が築け、代々繁栄していくことになると考える。
(2)金をためる方法
そして、吉本氏は、金をためようと思えば、
@目的を持て。例えば、マンションを購入するとか、1000万円貯金するとか。目標がなければ単なる守銭奴である。大阪弁でいうシブチンになってしまう。
A生き金をつかい、死に金をつかうな。
B見栄を捨てよ。
C他人に迷惑をかけるな。
Dユーモアを持て。 と言われている。
また一銭も要らずに、金儲けの出来る教えがある。お釈迦様の教えで、それは【無財の七施】という教えである。
@眼施、やさしいまなざしであり、そこに居るすべての人の心がなごやかになる。
A顔施、柔和な笑顔を絶やさないことである。
B心施、他人や他の存在に対する思いやりの心である。
C身施、肉体による奉仕であり、手足を動かすことである。
D言施、思いやりのこもったあたたかい言葉(例:ありがとう)をかけることである。
E牀座施(しょうざせ)、自分の席をゆずることである。
F房舎施(ぼうしゃせ)、わが家を一夜の宿に貸すことや、整理整頓清潔にすることである。
以上の七施ならば、日常生活の中で行えることばかりなので、だれにでも出来ることであり、たったひとつでもいいから、実行すればするほど、入ってくるものなのです。
会う人ごとに、{この人にも私にもいいことが起きますようにと念じましょう。}すべての人、物、出来事にたいして、感謝の心をもち、あなたの心を豊かさで満たしましょう。なぜなら、私達は皆、本来、{仏}であり、{億万長者}なのですから。
それでは、皆様が、お金だけでなく、心の豊かさも手にいれる事を祈念して、終りとさせていただきます。合掌
守られている
ありがたさよ
生かされている
うれしさよ
朝に夕に
手を合わせよう
感謝のまことを
ささげよう
《 手のひらと足のうら 》
利他行に
あけくれたひとの
手のひらの
うつくしさよ
きよさよ
あたたかさよ
下坐行に
あけくれたひとの
足のうらの
こうごうしさよ
ひかりよ
ありがたさよ
乞う者を見て与えるのは施しであるが、最上の施しとはいえない。心を開いて、自ら進んで他人に施すのが最上の施しである。また、ときどき施すのも最上の施しではない。常に施すのが最上の施しである。
施した後で悔いたり、施して誇りがましく思うのは、最上の施しではない。施して喜び、施した自分と、施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しである。
正しい施しは、その報いを願わず、清らかな慈悲の心をもって、他人も自分も、ともにさとりに入るように願うものでなければならない。
(大般涅槃経)(The Teaching of Buddha)
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