(小林正観著 弘園社) |
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今回も前回に引き続き、『こころの遊歩道』について、皆様にご紹介させていただきます。
G)ちょうどいい
お釈迦様の言葉に「全てが、あなたにちようどいい」というのがあるそうです。大蔵経の中にある言葉だそうです。およそ次のような内容です。
今のあなたに、今の夫がちょうどいい。
今のあなたに、今の妻がちょうどいい。
今のあなたに、今の親がちょうどいい。
今のあなたに、今の子供がちょうどいい。
今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに、今の友人がちょうどいい。
今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日もあなたにちょうどいい。
すべてがあなたにちょうどいい。
人の悪口を言わない人には、その悪口を言わないというあなたに対して、ちょうどいい悪口を言わない友人が集まって来ます。人の悪口ばかりを言っている人には、人の悪口ばかりを言っているちょうどいい友人が集まって釆ます。
「嬉しい、楽しい、幸せ」と言い続けている人には、「嬉しい、楽しい、幸せ」と言い続けている人が集まって来ます。全てがあなたにちようどいいのです。その一言をじっと噛みしめると、世の中の現象のかなりの部分が見えてくるのではないでしょうか。
H)身を捨てて浮かぶ
水泳の初心者の話です。「浮きたい」と思って力が入っている時は浮かなくて、「沈んでしまって構わない」と全身の力を抜いた時は、逆に沈むことが出来なくて浮いてしまったということです。
同じように、人間の潜在能力は、「こうでなければ嫌だ」とか、「こうならなければダメだ」と思った瞬間に出てこなくなります。こだわっている時は、脳波がベーター波になるためです。
逆に、リラックスして、「そうならなくてもいい、でもそうなると楽しいなあ。でもならなくても構わない。」という風になると潜在能力は上手く働くらしいのです。とらわれなくなり、心穏やかで、特に感謝をしている時は、脳波がアルファ波やシーター波になるためです。
I)不条理
ある大きな事故あるいは病気に遭遇した人で、精神的なショックが大きくて、なかな か社会復帰ができない人がおられるそうです。そういう人たちのカウンセリングやセラピーを担当している方に会ってお話を伺ったことがあります。それによると、社会復帰ができるか否かというのは、「ある一点」を乗り越えられるかにかかっているとのことでした。その一点とは、「不条理」が認められるかどうか、ということなのだそうです。
多くの人は災害や事故や手術の結果などの現実を受け入れ、それはそれとして、新たに出発すべく乗り越えていきます。しかし、「今まで悪いことなどしていないのに、何故自分がこのような目にあわなければならないのだ」という考え(こだわり)から抜け出せない人は、それを乗り越えることができず、いつまでも社会復帰ができないといいます。
「世の中は不条理に満ちている『不条理の塊』であるらしい」と思い定めれば、その問題は乗り越えられるかもしれません。
また、世の中には、理不尽なことをしている人も大勢います。その不条理が自分にとって許せないものであるならば、そういう人を糾弾するのではなく、「自分自身はそういう生き方はしない」と決意することです。それが、遠回りのようでも、結局は温かで穏やかな社会を作っていく近道のような気がするのです。
J)悟り(宗教的悟りとは違います)
人間が「悟る」ためには、実は何十年もの修業は必要ありません。一番短くて「三秒で」「悟る」こともできるのです。
一秒目。今まで自分の身に起きたことは、すべて自分に必要だった、と思うこと。
二秒目に、そのすべてが、自分にとってプラスであった、自分を成長させてくれた、そ れがなければ、自分はここまで来なかった、今日はなかった、と思うこと。
三秒目に、だから今までのすべてに感謝している、今までの全てに感謝できる、と思う こと、です。
そう思い切ることができたら、敵意や憎しみ、社会に対する呪いや恨み、というものが消えます。自分の皮膚の外以外のものを、恨んだり憎んだり、嫉妬したりする感情が消えます。
「恨む」こと、「憎む」こと、「呪う」こと(私はこれを「うにの感情」と呼ぶのですが)、これらを中心にした「怒り」や、「イライラする気持ち」などの否定的感情をなくしてしまうと、想いがかないやすくなります。
「悟り」というのは、それほど難しいものではありません。まず、今日までの自分に起きたこと、目の前に現れた人、などに対する不平不満、愚痴、悪口などを一切言わないこと。そして、それらが全て自分の人格を向上させ、魂を磨くために必要であった、と思い感謝すること。それがここでいう「悟り」であり、宇宙の意思と合致し、幸せになる方法なのです。(終)
人々は各々その心をもととして、見る所を異にする。この都を美しいと見るものもあれば、また汚いと見るものもある。教えを尊び、心の正しい素直な人は、木石にも瑠璃の光を見るのであるが、欲が深くて自分を修めることを知らない者は、どんな立派な御殿でもなお美しいと見ることはできない。(華厳経第34、入法界品)
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