(35才女性) |
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最初に母についての内観(してもらった事、してさしあげた事、迷惑かけた事を調べる)をしたのだが、なかなか思い出せず、一回目はとても苦労した。二回目になると、小さい時、病気やけがなどで随分お世話になった事や、小学校低学年の時に盗みをした時の事など思い出した。
内観で他人からみた自分を調べている最中は、愛情を感じてあたたかい気持になったり、盗みの事では思い出したくない心にフタをしたものまでこじあけたようで、今の自分にはとてもつらい思い出だった。その時の事は、母にとっても悲しい出来事であり、今もきっと思い出すとつらいだろうと感じた。
さまざまな母にしてもらった事を思い出したが、どれをとっても愛情のこもった心からのもので涙があふれた。それに対し私のして返した事は、どれも当たり前の事ばっかりで、今までいろいろしてきたと思っていたのに残念だった。と同時に、母の無償の愛の大きさにただ甘え反発してきた自分のおろかさを痛感させられた。
父に対しては、小学校低学年の頃、せっかんなど、思い出したくない、思い出すと苦しくなるような苦い思い出があった。大人になってもずっとその事は私の心の中につらく、父を絶対に許せない出来事として残っていた。
しかし、内観を進めていくうちに、幼い頃父にしてもらった事、大人になった現在も含めて、どれをとっても愛にあふれたものだった。母のようにストレートなものではなかったが、ぶきようでも大きな心での愛だった。
その頃は父の表面しか見ずに、父を批判し憎んだりしてばかりだった。父を傷つけ悲しませている自分を見つけた時、はじめて本当の父の気持、本当の父を感じることができ、父にすまないという気持と同時に、父に対しての恨みがスーっと消えていき、不思議な気持になっていった。その時、内観というものの力のすごさを感じた。
夫に対しての内観では、私はいつも家事などで夫の面倒を見ていると思っていたが、それは当たり前の事であって、心からのお返しなど一つもなかった。反面、私の方は、アルコール依存症という病気をかさに、夫から心からしていただいた事がずいぶん多かった。
父と同じでぶきようで、私を喜ばす言葉のひとつも言えない夫にいつもいらいらした気持を持っていた私だったが、内観してみると、私よりもずっと私の病気の事を気遣い、支えてくれている夫の姿に気がついた。その時、自分のおろかさや考えのなさに、私は消えてなくなってしまいたい気持だった。
夫の母にたいしても介護しているのは私なんだからという態度をとったり、自分がお酒を飲んでしまうのは、母がいやな事を言ったり、介護に疲れたりと、ストレスがたまったりするからだと思い込み、ずっと母のせいにし、うらんでいた私だった。
しかし、内観していくうちに、私は今までストレスでお酒を飲んだのではなく、自分の心、母を思いやれない心、母をうらむ心が酒を飲ませたんだと思えるようになった。
母には随分さびしい思いや、いやな思いをさせたと思う。今まで本当に思いやりのない嫁だったと思う。そう思いながら、帰ったら母に何かしてあげたい気持になり、内観とはすごいものだと改めて感じた。
今まで主人の母の気持など考えてみたこともなく、いつも母の被害者になったような気でいた私の心を、こんなにもすがすがしく心地よいものに変えてくださるとは、本当にありがたい事だと思います。
一週間の内観を終えて、お酒を飲ませるのは自分のゆがんだ心だという事に気がつきました。人のせいではなく、良くも悪くなるのも、自分の心だと思います。
主人の言っていた、「自分を大切にする事が、周りの人を大切にする事につながる。」という意味もわかったような気がします。
恨みや憎しみのないきれいな心をもつことで、自分も楽になり、大切にでき、人も大切に出来るという事だと思いました。
私にとってこの一週間は、今まで生きてきた心の洗濯のような気がします。また明日から新しい心で前向きに生きていこうという気持で一杯です。皆に感謝する事を忘れずに生きていきたいと思います。
無明と愛欲とは、あらゆる煩悩を生み出す自在の力を持っている。無明とは無知のことで、ものの道理をわきまえないことである。愛欲は激しい欲望で、生に対する執着が根本である。
この無明と愛欲とをもとにして、貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさ、邪見、恨み、妬(ねた)み、へつらい、たぶらかし、おごり、あなどり、ふまじめ、その他いろいろの煩悩が生れてくる。(勝まん経)
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