今回は、近藤裕著『愛と癒しのメッセージ55』(三笠書房)より、一部を皆様にご紹介したいと思います。
大きな喜びより、小さな喜びをたくさん見つけていこう。世はまさにストレス時代。人々は「楽しく生きる知恵」を求めている。私は、「一日一喜・・・一日に何か一つ喜びを見つける」ことの大切さを訴えたい。
「大きな喜びを見つけようとすると、なかなか見つからない。小さな喜びなら見つけやすい。嬉しかったこと、楽しかったことを見つけ、"うれしい""楽しい""ありがたい"と感じたことを日記に、"喜びノート"として書きとめる。毎日の小さな喜びのつみ重ねが、楽しい人生になるのだ」と。
ある青年から、こんな手紙が届いた。「早速、"喜びノート"を実行してみました。すると、普段は見すごしてしまっていた幸せのかけらが、こんなにも自分の身のまわりにたくさんあることに気がつきました……」といって、"喜びノート"に書きこんだ内容がつづられてきた。
「喜びノートをつけはじめて、自分は数え切れないほどの温もりの中で生きていることを感じました。私のような未熟な者でも、何かしら、どんな小さなことでもいいから、誰かのために汗を流せる気持ちのいい人間になりたい、という思いが強くなったような気がします・・・・・」というこの青年。最後に、こんな決意が語られている。
「孫悟空には"如意棒"という強い味方がありますが、私にはポッキー・スティックのようにまだ細いけど、"ジョイ棒"があります。どんなことでも喜びを持って受け入れられる。そんな力強くて、太くて柔軟な"ジョイ棒"を、心の中に培っていきたいと考えています」
"ジョイ棒"とは、まさに自分の意の通りになる"如意棒"なのだ。この"ジョイ棒"を手にしたら、どんなストレスに直面しても、楽しく生きることは可能になるのだと思う。
そうなのです。喜びの落穂拾いをすれば、幸せになれるんですね。ところが、往々にして、我々はこれと逆のことをやりがちです。「喜びノート」ではなくて、「怒り・恨み・あら捜しノート」をつけたり、話したりしがちなのが、人間というやっかいな生き物なのです。
結局、心理学で到達した結論と、宗教で昔から説いてきた幸福になる方法は同じなんですね。宗教で幸せになる方法はどの宗教でも同じなのです。感謝することと、赦すこと、愛することです。逆に不幸になる方法も同じです。それは、恨むことと、瞋(いか)ることです。皆さんは、どちらのノートをつけられますか。
また、頭では、恨みや瞋りなどの頑固なこだわりを捨て、人を赦し、感謝の心境に到達したいと思っても、なかなかできないのが人間です。でもそれを可能にする方法があります。それが『内観』なのです。
「自分の親を殺したい」と言うように親に恨みをもっている人でさえも、一週間の内観最終日には、恨みが解消し、気持が楽になり、生きる新しいエネルギーがわいてくる人が多くおられます。そして、前述の青年のように、いかなる環境にあっても感謝できる心境を持て、人生を前向きに、前より楽に生きていけるようになるのです。合掌
心よ、おまえが、すべてのものはみな実体がなく、うつり変わると知って、執着することなく、何ものもわがものと思うことがなく、貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさを離れさえすれば、安らかになるのである。(パーリ、長老偈註)
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