最近、新聞やテレビでも話題になっている社会現象に、青少年のひきこもりというのがあります。これは日常生活、または社会生活において、自分の価値が見いだせないというのが原因といわれています。
自分の居場所がない。他人に合わせた生活を送る中で、自分の考えや何をしたいのかがわからない。だから学校や職場に行きたくないし、他人と顔を会わせるのが嫌でたまらない。当寺でおこなっている内観という合宿にも、精神的障害をもっていたり家族に大事にされていないと感じる人が多くなってきたように思います。
ある本の中に『孤独とはもっとも怖い病気』という文章が載っていたので、少し紹介したいと思います。
ある病院に、ちょっと世をすねたおばあちゃんの患者さんがいました。看護婦さんが優しくしようとしても「どうせ、すぐにあの世にいくんだから」という言葉を口にされていました。
困った看護婦さんは、おばあちゃんに「毎朝、この病院の下を通られる工員さんたちに、窓から手をふってごらんなさい」とお願いしました。おばあちゃんは次の日の朝からしぶしぶ窓に立って手を振りはじめました。
工員さんの中にはそしらぬ顔をして通りすぎる人もいましたが、何人かの人は手を振って返してくれました。それがうれしかったのか、おばあちゃんは毎朝手を振り、出勤する工員さん達に挨拶するのが日課となっていきました。
工員さん達も、病院の前にさしかかると、決まって窓を見上げる人が多くなりました。「おばあちゃん、おはよう」と言葉はお互い聞き取れなくても、心は十分に通じ合っているようでした。それからというもの、おばあちゃんは日増しに明るくなり、顔から笑みがこぼれるようになりました。
しかし病気はだんだんと重くなります。それでもおばあちゃんは、窓の外に向かって手を振り続けました。その後、しばらくしておばあちゃんは亡くなりました。訃報を聞いた工員さん達は病院の近くに集まり、おばあちゃんが毎朝手を振っていた窓に向かって、深々と黙祷を捧げたそうです。
この話のおばあちゃんの淋しさとはなんでしょうか。身寄りがなく一人暮らしである? 見た目はそうかもしれません。しかし、根本にあるのはおばあちゃんの存在価値の有無だと思います。おばあちゃんがいてくれたからよかった。おばあちゃんの笑顔がうれしい。こんな一言があれば、たとえ一人暮らしをしていても救われるのではないでしょうか。
ノーベル平和賞を受賞されたマザー・テレサさんが、授賞式の時に言われた言葉に「天然痘も癌も脳卒中も、決して怖い病気ではありません。本当に怖い病気とは、あなたのような人間がこの世にいてもいなくてもいいのですよ、と言われたときの孤独です。この病気ほど怖いものはないのです。この病気を治す病院も薬も今はないのです。この病気は、他の優しい心でしか癒すことができないのです」とあります。
人間が生きていくためには、たくさんの見えない支えがあります。しかし私達は自分一人で生きているような気になって自分勝手な行動をし、そういう多くの支えの存在に気づかずに毎日を送っています。
今ここで、すこし立ち止まって、周りをよーく見回してみてください。その支えに気づくこと、また自分自身が周りの人の支えであると感じることが、孤独に打ち勝つ最善の方法ではないでしょうか。
何事も身のためを思わず、他人に対してもおごる思いをせず、たださとりのため、教えのため、他人のためと思ってしなければならない。(大般涅槃経)
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