先日2人の子供を連れて、近くの人工芝スキー場に行きました。上は男の子で中学1年、下は女で小学5年生です。
山の中腹にあるスキー場です。2時間コースを申込み、スキー道具を借りて、初心者用の練習ゲレンデに向かいます。子供達は初めてのスキーに大はしゃぎで、興奮していました。そこで靴をはき、スキー板をつけ、コーチの方に「お願いします。」と挨拶して、いよいよ生れて初めてのスキー体験です。私は妻と一緒にずーっと見ていましたが、なかなか面白く参考になるものでしたので、そのコーチの方が初心者にどういう風に教えたか、皆様にお伝えしたいと思います。
先ず最初に驚いたのは、ストックを使わなかったことです。そして、スキー板をつけたまま、歩いたり体を回したりと準備運動をした後、コーチの方が「体を思い切り前方に倒しなさい」と言いました。子供達はスキー板をそろえた状態で、体を倒します。スキー靴とスキー板をはいていなければ倒れるところですが、大丈夫です。前傾姿勢を子供に慣れさせるための予行演習でした。そして次に横に転ぶ練習です。柔道で、まず受身を練習するのと同じですね。
次に、スキーをハの字形に開いて、そこで膝をまげて前傾姿勢のまま腰を落とす練習にはいりました。つまり、ブレーキをかけて、止まる練習です。それでは実践と、すぐに10メーターの短いゲレンデで、少し滑っては止まり、滑っては止まりと、ブレーキの練習が続きました。「止まることさえ出来れば、200メーターのゲレンデですぐ滑れますよ。」とコーチの方は言っていました。子供達は、2〜3回滑るとコツをつかんだようです。すぐ止まれるようになりました。
そして今度は、曲がる練習です。スキーをハの字形に開いたまま、左へ曲がる場合は右の膝を前に曲げ、右足に体重をかけます。これも5〜6回滑るとお兄ちゃんはすぐ出来るようになりました。するとコーチの方が、「じゃあ、上のゲレンデへ行こう。」と言い、2人乗りのリフトで昇っていきました。
あまりに早い教え方に、私達夫婦はビックリしながら、少し不安な気持で見守っていますと、しばらくしてコーチと息子は、200メーターの初級者用ゲレンデの頂上に姿を現しました。最初は、コーチの方にリードしてもらいながら滑っていましたが、途中からは自分一人で、まがりなりにもちゃんと左右にカーブしながら滑っていました。もちろん、初心者がやる、スキーをハの字に開いたボーゲンの形でです。
しばらくすると、妹の方ももう一人のコーチの方に連れられて初級者用ゲレンデに昇り、同じように滑ってきました。兄ほどうまくはないのですが、それでも初日で200メーターちゃんとカーブしながら滑れたのです。たったの2時間でした。
私達はびっくりするやら、嬉しいやらでした。やはり、専門家にきちんと基礎を教えてもらうと、こんなにも違うのかと思った次第です。ストックなしですので、腕にたよらず、腰から下の動きでスキー板をコントロールするので、正しい動きが早く身につくわけです。
それと、最初に滑り方よりも止まり方を教えたことに、私は考えさせられました。我々は、ともすれば、うまく滑ることだけに意識がいきがちですが、うまく滑るためには、ちゃんと止まれることが重要だということです。
自動車も同じで、走るためには、スピードを落とせたり確実に止まれないと、うまく走れないわけです。ブレーキの重要性をあらためて認識しました。
そこで人間についても同じように考えてみると、「十善戒」がそれにあたるのではないかと思います。『不殺生、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫、不妄語(ふもうご)、不綺語(ふきご)、不悪口、不両舌、不慳貪(ふけんどん)、不瞋恚(ふしんに)、不邪見』の仏教徒が守るべき十の戒です。
今までは積極的な言葉でなく、皆『不』がついている消極的な語を、何故使うのだろうと思っていましたが、今回ブレーキ(抑制すること)の重要性に気付いて、納得した次第です。善い事をすることも大事だが、悪いことをしない事も大事で、この2つが車の両輪のように回転して初めて人間として向上でき、幸福になれるのだと思います。
十善戒の意味を簡単に説明しますと、最初の3つは体に関することです。「不殺生」は殺すなですから、物や命を生かしきって使いましょうという事です。「不偸盗」は他人のお金や物や時間を盗るなという事で、昔から「人の盗らざるところを見る」のが、ひとつの人物判定方法です。「不邪淫」は夫婦以外の邪しまな性関係を持つなという事です。この頃は不倫がはやっているようですが、浮気をすると、もろに子供の非行や不登校につながりますので、ご用心、ご用心。
次の4つは口に関する戒めです。「不妄語」は嘘はつくなで、「嘘はどろぼうの始まり」と言われていることを思い起こしてください。「不綺語」は駄弁を弄したり戯言(たわごと)を言うな、「不悪口」は悪口を言うな、「不両舌」は二枚舌を使うなの意です。
最後の3つは、心に関する事です。不慳貪(ふけんどん)は貪(むさぼ)りすぎるなで、強欲せず、施しをして他を助けなさいという事です。不瞋恚(ふしんに)は瞋(いか)るな・恨むなで、「人を呪わば穴ふたつ」の諺の通り、瞋りや恨みは自分を不幸にするから、穏やかで許す心をもちましょうの意です。「不邪見」は誤った考え方をしない、つまり、目先の利益に惑わされず、長期的な観点から正しい見方をしましょうという事です。
人間の欲望はとどまるところを知りません。欲望をセーブし、うまくコントロールしなければ、海水を飲むのと似て、何時までたっても喉の渇きは止まりません。これを渇愛と言います。そうではなく、「知足」即ち、足るを知ることが重要なのです。さもなければ、「あな恐ろしや火の車、作る大工はおらねども、おのが作りて、おのが乗りゆく」と身の破滅を招くのです。
今回は子供たちのスキー練習から、ブレーキつまり抑制することの大切さを教えられました。欲望はじょうずにコントロールして、家族やまわりの人々、世のため人のために生かして使うのが幸せになる秘訣であり、「十善戒」の実行はその入り口ではないでしょうか。(合掌)
八正道とは、正しいものの見方、正しいものの考え方、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい心の統一である。
正しいものの見方とは、四つの真理(四諦)を明らかにして、原因・結果の道理を信じ、誤った見方をしないこと。
正しい考え方とは、欲にふけらず、貪(むさぼ)らず、瞋(いか)らず、害(そこ)なう心のないこと。
正しいことばとは、偽りと、むだ口と、悪口と、二枚舌を離れること。
正しい行いとは、殺生と、盗みと、よこしまな愛欲を行わないこと。
正しい生活とは、人として恥ずべき生き方を避けること。
正しい努力とは、正しいことに向かって怠ることなく努力すること。
正しい念いとは、正しく思慮深い心を保つこと。
正しい心の統一とは、誤った目的を持たず、智慧を明らかにするために、心を正しく静めて心の統一をすることである。(分別聖諦経)
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