この七日間で私は、母について三回、父について二回、嘘と盗みについて一回の内観を行った。
自分がこの内観に参加した理由が対人コミュニケーションの悩みであり、現職に起因するものであった事から、両親について調べることで、いったい何の解決になるのだろうというのが、正直な内観開始当初の気持ちだった。
母についての内観を開始したものの、列挙できる項目が少なく、もし二巡目になったら、もうネタがないのではないかと、不安になった。
しかし、母の一回目が終了し、父のだんになると、父のことを調べているにもかかわらず、母についての記憶がどんどんよみがえってきた。母について、是非面接で話したいことが増え、早く母についての二巡目を行いたくなった。
父について一順目の最後、父が他界した時代についての内観面接では、迷惑をかけたことを語り終わった時、涙がとめどなく流れた。父について涙を流すのは、じつに他界した時以来だったのではないだろうか。不思議だった。
面接後、びょうぶの中でタオルで顔を覆いながら、森山良子の『さとうきび畑』が頭の中で鳴り、ひたすらに「ありがとうございました」と父に訴えつづける私がいた。
その時、亡くなった父に対してこうした感情を抱くのに、何故それ以上に長い期間お世話になった母について感情が高ぶらないのか疑問だった。ここから先が私にとって本当の内観の始まりだったのかもしれない。
母について内観の二巡目を始めた夜、内観を深める助けとなる冊子をいただいた。そうするとどうだろう、母が私にしてくれたこと、私がお世話になったこと、とても面接で言い尽くせぬ程あるではないかと気付かされた。
それと同時に、母との関わりを調べていくことは、自分の人生を調べなおすことにも、内観をしていく上で気付いたのだ。
私は、放送にあったような非行少年だったわけでもないし、今ヤクザをやっているわけでもない。はたから見れば平凡なサラリーマンである。そんな私でも、少なからず母に対して遺恨や疑念があることもわかってきた。そしてその全てが私の逆恨みであることに気付き、懺悔した。
母以外に、自分の親以外に、これほどのことをして下さる方が、ほかにどこにいよう。あまつさえ、私の逆恨みの対象にまでなってくれていたとは・・・・。
父は亡くなってしまったが、母がまだ元気でいてくれていることが、とてもありがたく思えた。受けてきた御恩はとても返せるようなものではないが、いくばくかの親孝行をする機会が残されていることに感謝した。
嘘と盗みについては、自分の人生と、その時々の自分の環境や気持ちについて、整理することができた。人に対してひどいことをしてきたし、もう謝ることのできないものも多い。しかし、これらを整理できたからこそ、これから自分は立っていけると思えた。
過去を全て肯定したり、否定したりするのではなく、認めることこそ人生の肝要だと思う。それなくしては、非常に薄っぺらく嘘っぽいものになってしまうと思う。
私は8月から、新しい職場で働くことになる。人生の再スタートの前にと思い、内観を受けた。今後も思い悩むこともあるだろうし、同じような誤りをおかすこともあるに違いない。内観を受けたことで、これらを回避できるようになるとは思っていない。
しかし、今まで接してきた人々に、今ものすごく感謝の念を抱けている自分がいる。だから、これから出会う人にも同じような気持ちになれるはずだ。悩みや反省のときを迎えた時、この感謝がそこにあれば良いと思っている。
8月の出発の前に、一度家に戻る予定でいる。母に何をごちそうしてやろうか。
仏はすべての人を、自分のひとり子のように愛するから、人もまた子が母を思うように、仏を信ずれば、現実に仏を見、仏の救いが得られる。(維摩経)
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