私にとって内観とは、職場で働く為のノルマでした。誰とも話 さず、携帯電話もテレビもない生活を一週間もしなければならな い事は、私にとって耐え難いことで、非常にナーバスな気持ちで した。
とにかくしなければならないので、目を閉じて昔のことを思い 出しました。まず、私が一番感謝している母に対して思い出すと、 様々な事が頭に浮かび、母に感謝しなくてはと思いました。しか し、それは私が普段から思っている事でありました。私はどうし ても食事中に流れる、あの内観者の涙を流し鼻をすする様な心持 になる気がしなかったのです。
内観を通して、はっと気付くこと、初めて分かる感情、もしそ のようなものがあるとすれば、その時に気付いているはず。自分 が経験したその時に分かるはず。過去を振り返っても所詮は私が 既に体験していること。今この期間で発見することなどあるのだ ろうかと、私は例の冷静さというか注意深さと言うか、疑う心を ここでもやはり持っていたのでした。
順序どおり父親について調べました。父は私にとって大変嫌い な存在でした。一家の大黒柱として家にいることが少なくなった 時から、母が実家に帰り離婚し今日までの間、私は家庭を壊した 人間である、こんな父親にはなりたくないと思うほど、憎み、嫌 っておりました。
しかし私も、昔の事を忘れていたと言う訳ではなく、昔はあん な父だったのに今はどうだと、現在の憎しみが過去の全てを打ち 崩しておりました。私は担当の方に、「父に感謝はしているが、 父の全てを理解することはできない。内観が足りないからなので しょうか。」と申した覚えがあります。その方は私に「あせらず に、基本となる三点について、繰り返し調べてみるように」と、 私に助言して下さいました。
私の心が変わり始めたのがいつの頃だったかは覚えておりませ ん。しかし、父にしてもらった事が次々と出てきました。今まで はその裏に私の感情が入っていたので、思い出せなかったのだと 思います。しかし、事実を見る。ただ本当にあった事だけを見て いくと、次は自然に父の気持ちを考える様になっていきました。
それまで自分の憎しみという自分勝手な感情で消されていた、 父の思いを想像するようになったのです。その当時、有り難いと は思っていたが、当たり前のような心持があり、また、今日まで は憎しみと言う感情で、その気持ちすら消えてしまっておりまし た。私は最初内観に対してあれだけ疑っていた新しい発見をした のです。
父は私や家族を愛していたこと、成人してからつめたい態度を とったきた私に、もっと感謝しろ、誰のお蔭でここまで育ったと 思っているのだなどと、一言も口にした事はありません。
私の冷たい態度は父も感づいていたのではないかと今になって 思いますが、それでも父は私に笑顔で接し、また、就職した際に は、人生の先輩としてアドバイスをしてくれました。私はこの時 初めて内観しているという心持になったのです。
それからは父の笑顔しか頭に浮かびませんでした。夜中も消灯 時間が過ぎ、寝ようと思っても、目を閉じると父の笑顔が浮かび、 涙が止まらず、自分のこれまで父に抱いてきた醜い心を思うと、 夜も眠れぬほどでした。
私は担当者に質問したことがありましたが、すべてを理解する のではなく、事実を事実としてあるがままに見ることで、全てを 理解せずとも、自然と感謝の気持ちが出てくるのだということに 気付かせて頂きました。
私は、今回のこの経験が、今後私の人生のうえで、大きな糧に なると思っております。私はどこかで人を憎むことがあるかもし れません。その時にはまず内観をしようと思っております。
このような機会を与えてくださった会社の方々、温かく見守っ てくださった家族、私の発表をわざわざ部屋まで聞きに来て頂き、 助言して下さった担当の方々、そして共に一週間内観してくださ った今回内観を受けられた方々と全ての人に感謝しております。 一週間大変お世話になりました。ありがとうございました。
正しい施しは、その報いを願わず、清らかな慈悲の心をもって、 他人も自分も、ともに悟りに入るように願うものでなければなら ない。(雑宝蔵経)
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