今回は、子供さんの不登校を解決するために、夫婦で内観に来られた全盲の方の内観体験記をお届けします。ご夫婦とも、非常に深い素晴らしい内観でした。親に対する憎しみが消え、「許す」ことができたので、子供さんもきっと立ち直られることでしょう。
まずは、私(男性50才)のような全盲の視覚障害者を受け入れてくださり有難うございました。そして、毎日3度の食事を運んでいただき申し訳ありませんでした。
日曜日の夕方4時過ぎに蓮華院に到着しました。それから、部屋を見に行きました。 なんとなく旅館みたいな造りで、えんがわに応接セットを置いていたらいいのになと思いました。
私の部屋は玄関を入ってすぐ左の部屋でした。洗面所にもトイレにも近く最適でした。 食事は、自分が思っていたよりもおいしく、プリンやヨーグルトやコーヒーなどのデザートがうれしかったです。
カステラと成金饅頭は夜食に取っておきたいほどでした。もっと野菜中心の質素な食事を連想していたので、大変おいしくいただきました。本来、私はカボチャが嫌いです。味噌汁の中に入っていたのがわかりましたが、ちゃんと食べました。先生に食膳を運ばせていながら残すのは失礼だと感じました。
お風呂の広さには驚きました。家庭用の狭い風呂を想像していたので意外でした。ただ、入浴時間が短いのが残念でした。大分の家族風呂でも50分間入浴できます。「すみません。目的が違いました。」
私が毎日楽しみにしていたのが、早朝の鐘つきです。世界一大きな鐘をつくのは気分がいいですね。もっとも、初日は全身に振動が伝わった感じでビックリしました。境内の池の黒鳥も好きでした。近くを通ると鳴いて挨拶をしてくれました。
内観を始めて3日間はまったく話しになりませんでした。正直言って、怒りと憎しみのかたまりが座布団の上に座っていました。「私は、父親に迷惑をかけられたのに、父親に迷惑をかけたことを調べなければならないのか?」そう考えたら腹が立ってきました。先生の面接に対しても愚痴を言っているようなものでした。その際は、ご迷惑をおかけしました。
だけど、4日目の夜、布団の中で内観をしていると父の笑い顔が浮かびました。それからが、やっと私の内観の始まりでした。最終日にはちゃんと父に対する私について調べることができました。
内観研修が1週間あってよかったと思います。3日間では愚痴の研修になっていました。まあ、ストレス解消にはなったかも知れませんが、面接者には迷惑な話ですね。
私が内観を通じて感じたことは、私がいかに人の一面しか見ていないかということです。嫌いな人の良いところを見ようとしませんでした。そして、「許す」ということができませんでした。
過去にとらわれ、憎しみで生きるのは無意味だと納得できました。事実は事実として変えることはできませんが、自分の考え方を変えることにより、過去の苦痛を和らげることはできるのだと思いました。
どうせ生きていくのであれば、楽しく健やかに生きたいです。心のどこかで以前より思っていましたが、きっかけがありませんでした。内観は私にとって丁度いいきっかけを与えてくれました。
今まで私は、自分を変えることはできても、他人を変えることはできないと思っていました。しかし、自分の接し方を変えることにより、相手の接し方も自然と変わるものなのですね。
内観は私にとって、いい経験でした。蓮華院で考えたこと感じたことを忘れずに、以前の私を見つめなおし、色々な面で今後が良くなるようにしていきたいと思います。
近いうちに子供を連れて蓮華院に遊びに行きたいです。そこで、子供に考えたことや体験したことを聞いてもらおうと思っています。
同じあやまちを繰り返さないためにも、日常内観をしていこうと思います。いい人になろうとは思いませんが、素直に感謝できる人になりたいです。
最後に、僧侶の先生方、本当にありがとうございました。一週間精一杯お付き合いしていただいたことを感謝しています。本当にお世話になりました。
わたしをののしった、わたしを笑った、わたしを打ったと思う者には、怨(うら)みは鎮(しず)まることがない。怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。
心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。
怨みを抱く人のなすことよりも、かたきのなす悪よりも、この心は、人に悪事をなす。
この心を貪(むさぼ)りから守り、瞋(いか)りから守り、あらゆる悪事から守る人に、まことの安らかさが得られる。(法句経)
より幸せな人生にするために、あなたも内観を体験してみませんか。