ここにふたつの図があります。 O と C ですが、皆さんは、どちらに目がいきますか? ほとんどの人は、C の方に目がいったのではないでしょうか。欠けた所に注目するというのは、人間の習性なのです。
このように目だけでなく、我々は普通一般的に、「してもらってない。してやった。迷惑かけられた。」ということにはよく気付きます。ところが、実はこれは、争いや不幸への道なのです。こういう考え方、見方を続けると、必ず、不平不満、怒り、怨みがでてきます。そして、自分で自分を不幸へ追いやってしまうのです。
例えば、迷惑かけられたことでも、相手はもうとっくに忘れているのです。ところが、あなただけが、「けしからん」という怒りの感情にいつまでも囚われつづけ、今日も面白くなく、自分自身を不幸にしているのです。今すぐ、心の中で「許し、水に流せば」、それであなたは不幸な感情から解放され、幸せになれるのにです。
では、幸せへの道、考え方、見方とはどういうものでしょうか。それは、あなたが周りの人々に「してもらった。お返しした。迷惑かけた。」という見方・考え方です。そうすると、こういう悪いことを一杯している私でも、おおくの人や物の愛情や支えによって生かされているということが、よくわかります。今まで見落としていた、自分のまわりの「たくさんの幸せに気付き、人生が楽しくなるのです。」いうなれば、「幸せの落穂拾い」であり、「幸福再発見の旅」とも言えます。
仏教の説法のなかに、「悪人ばかりの家は、仲がよく幸福で、善人ばかりの家は喧嘩が絶えず、不幸である。」というのがあります。つまり、何かあった時、自分が悪うございましたと謝る人が多い家庭は、喧嘩にならないので、仲がよく幸せです。
ところが、「自分は正しい。相手が悪い。」と思っている人ばかりですと、お互いに自分の正しさばかりを主張して譲ったり謝ったりしないので、争いが絶えず、不幸な家庭になってしまうというのです。
仏教では、よく「全肯定」や、「感謝」、「知足」を強調します。何故ならば、それが「幸せへの道」だからです。今はやりの「積極的、肯定的にいい方へ考えるというプラス思考」ですが、仏教ではすでに紀元前の時代から、説いていることに驚きます。
自分に不足していることや、恵まれていない所など影の部分ではなく、今自分の持っているもの、恵まれているところ、日々まわりの人々や物から受けている助け・恵み・ささえなど、あなたの光の部分に目をあて、数えるようにしてみて下さい。一日だけではなく、考え方、見方として、毎日毎日続けてみましょう。きっと毎日、意外な発見に愕き、人生が楽しくなってくることでしょう。
あなたも、まわりの人々や物に対して、「してもらった。お返しした。迷惑かけた。」という幸せメガネをちょっとかけてみませんか。
他人の過ちは見やすく、おのれの過ちは見難い。他人の罪は風のように四方に吹き散らすが、おのれの罪は、さいころを隠すように隠したがる。
恥じる心なく、烏のようにあつかましく、他人を傷つけて省みるところのない人の生活は、なしやすい。
謙遜の心があり、敬いを知り、執着を離れ、清らかに行い、智慧明らかな人の生活は、なし難い。(法句経)
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