1997年11月10日第12号
幸福ニュース
満月を映す水面と三密加持
(求聞持法行中雑感1)
<子供達の笑顔と中秋の名月>

先の貫主真如大僧正様が青少年の健全育成のために設立された「親を大切にする子供を育てる会」と「熊本朝日放送」との共催で「子供の詩コンクール」の表彰式が去る九月九日に開催されました。

二千五百点余りの応募のなかから選ばれた百十三人の子供達の作品を表彰致しました。 表彰式の後、予備選考をしていただいた県内の国語研究会の先生方(最終審査は仏教詩人の坂村真民先生)との懇談を終えて帰山したのが午後七時、いつもより一時間以上も遅れて求聞持堂へ入堂しました。

午後の修法を修して床についたのが十時でした。起床はいつもの通り深夜の一時には起きなくてはなりませんので、行法に入ってからしばらくするといつになく激しい睡魔が襲って来ました。

こういう時は中途で座を立つ時の作法を修して一時お堂から退出し、真言を唱えながお堂の回りを作法に従って歩きます。これを経行と言います。経行をしていて気が付くと天空には浩々と満月が照り輝いていました。

<満月を飲み込む>
眠気醒ましにコップに水を入れて飲もうとすると、コップの水面に中秋の名月が浮かんでいます。水と共にさながら満月を飲み込むように飲み干すと、水の生気と月光の霊気で一気に体中の細胞が目醒覚めるように感じます。この時フッと覚鑁(かくばん)上人のことが頭をよぎりました。

覚鑁上人は真言宗の中興の祖と言われ、この求聞持法を八回も修されたと伝えられています。また密教の一字禅と言われる「阿字観」や「月輪観」(がちりんかん)などの密教の観法をことさら研鑚されたので、「内観の聖者」とも言われています。この場合の内観とは広く仏教の瞑想法のことです。

覚鑁上人はある時、池の水面に映る満月を見つめながら「月輪観」をされたということを思い出したのです。

水を飲み干したそのコップにもう一度水を満たして地面に置き、月の光を浮かべるようにして自らも地面に座してみました。天空の月が自然に落とした視線の延長線上に映るように座るのです。

ほどなくすると松の枝ごしに秋のそよ風を感じました。するとそれまでコップの水面にクッキリと映っていた満月は千路に乱れてしまいます。

コップではだめだということで、今度は閼伽水(あかすい)(仏前にお供えする清浄な水)を入れる木の樽(おけ)に水を満たして、先程と同じようにやってみます。すると今度は先程のコップとは違って水面が大きいだけに、樽の中の水のうねりがなかなか収まりません。

樽の水面が満月をきれいに映し出すまでには何分もかかりますが、その替わり今度は少々風が吹いても月光の乱れはすぐに収まり、落ち着いて「月輪観」を修することができました。

コップと樽のどちらも同じように水面に月光を浮かべることができます。しかし口径の小さなコップは、大きな樽と違って水面が平らになるのは早いかわりに、自分の体が少しでも動けば、月はコップの水面から外れて見えなくなってしまいます。また少し風が吹いただけでも小さなさざ波で水面の月は乱れててしまうのです。

それとは逆にコップよりもかなり大きな樽の水面は、少々自分の体が動いても風があっても、しっかりと月の姿を水面にとらえてくれます。

弘法大師の書かれた『即身成仏義』には
「仏日の影、衆生の心水に現ずるを加と言い、衆生の心水、よく仏日を感ずるを持と言う。」との比喩をもって三密加持の説明をされています。

今の満月と水面を即身成仏義の比喩で説明しますと、満月の光りはさながらみ仏様の慈悲があまねく平等に行き渡るように、すべての水面に満月を映し出すこの働きが加であります。

また大小様々な水面はあたかも私達の素直な心がみ仏様のみ心を感じ取るように、人それぞれの個性の違いを越えて同じように満月を映し取ることができます。この働きを持というのです。加と持のこの二つの働きが相互に相入する時、加持感応が生まれます。

<水面と風 安心と悩み>
また風は仏教的な文学表現では仏様の慈悲を表わすときによく使われます、しかし、水面を乱す風をこの場合は煩悩に喩えてみましょう。コップや樽は私達人間に喩えることができます。

人間のスケールの大きな人は小じんまりとまとまることありません。それはさながら水面の大きな樽を地面にすえた時なかなか水面が安定しないようなものです。しかし一旦安定すると少しの風で水面が乱れないように、器の大きな人は少々のことでは取り乱したりしません。

小さなコップはこれとは逆です。水面の小さなコップは小さなことに一喜一憂する人にたとえることができます。

これはまた私達の信心のあり方にも喩えることができます。天空に輝く月は動いていないのに、コップを見つめる人自身が動けぱコップから月がなくなってしまいます。そしてしっかりした信仰を持った人は、少々の苦難で信仰がぐらつくこともありません。

み仏様のお慈悲はすべての人を同じように照らしつづけて頂きますが、それを受け取る私達の信心の心が狭いと、少々の困難に合っただけでぐらついてしまうのです。月輪観を修するしばしの間にこんなことを思いました。

今私が行じている求聞持法は、ガラスのコップのように狭いあやふやな心を広くするための修行なのだと自得することができました。こう述べますと「僧侶の方はそのような修行をすることもできるでしょうが、私達のように日々の生活に追われているものは、どうすれば広い心と強い信心を持つことができるのですか?」という問いが聞こえてきそうです。 この事については次回お話致します。(続く)

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