2001年4月28日第122号
幸福ニュース

【内観を受けさせて頂いて】
(男性 28才)

母に対して、してもらった事を調べると、私は、生まれてから母乳をいただき、離乳食、普通の食事と、毎日毎日約8千食を食べさせて頂いていたことに、初めて気がつきました。8千回も食事を作ること、献立を考えることなど私には想像がつきません。それが、何の見返りも期待せずに、当たり前の様にしてこられたというのは、相当の苦労であったろうと思います。

お蔭で私は好き嫌いもなく、料理を作るのも好きになり、一人暮らしの時も自炊をするのにも苦労しませんでした。そういえば、自炊するときにメニューに苦労して、母を思い出していました。食事を残すとよく怒られましたが、母は私に元気で育ってほしいと願っていたからだと思います。

3才の時、私は盲腸にかかり、それが手遅れになり、腹膜炎になりました。その時、毎日毎日病院でオレンジジュースを飲ましていただきました。「本を買って。お菓子を買って。」など、毎日わがままを言っていました。

手術は成功したのですが、その3日後に、心停止をしたそうです。それが母の一生で一番悲しかった出来事だったそうです。でも、無事に蘇生し、今日があるわけなのですが、胸下部から下腹部にかけて大きな傷が今も残っております。

これが、内観を受けるまでは、私のコンプレックスになっており、温泉やプール・海など、人の前で裸になるのにものすごく抵抗がありました。小学校の時、体育の授業で水泳の時などは、休んで見学ばかりしておりましたので、3年生までは泳げませんでした。

それで、無理やりスイミング教室に連れて行かれ、何てひどい親なのだろうと、その時は思っていましたが、泳ぎが上手になるにつれ、その気持ちが薄れておりました。

しかし、水泳大会の時、全校生徒の前で泳ぐときに人の目が気になり、自分で勝手に傷つき、帰ってから、「何で最初から個人病院でなく、大きな病院へ連れて行かなかったんだ。そうすれば、早く発見できて、大きな傷になる事もなかったのに。」と泣きながら当り散らしました。

あの時の母親の顔は、本当に悲しそうでした。本当に後悔しているのは母なのに。私の苦しむ姿を見て、遠い大きな病院より、近い病院へ連れて行き、少しでも早く苦しみを取り除いてやりたい、その一心で、夜遅く私を抱えて走り回って命を生かしてくれたのに、私は何とひどい事を言ったのだろうと、内観中に思わず涙がでました。それを面接の先生に報告すると、また涙がでそうだったので、しませんでした。これからは、この傷を両親に救っていただいた証として、誇りを持ち、その気持ちを母に報告し、お礼を言うつもりです。

中学1年の時は、勉強が嫌で、仮病を使って何日も休んだ事があります。その時、母は本気で心配し、熱がないか何度も体温計で計ったりしました。私は摩擦熱で温度を上げ、ウイスキーを少量飲み、熱があるふりをして、母をだまして学校を休み、心の中では喜んでおりました。母の本気の心配に対し、私はなんて卑劣な男だったんだろうと反省しております。これからは、もっと正直に生きてゆくことを決心しました。

父に対しての私は、高校の時、ほとんど話もせず、避け続けておりました。遊んでばかりいて、金が無くなると、黙って父の財布からお金を抜き取り、まともに顔を見て話せなくなっておりました。父にわかり、一度だけ顔がはれあがるくらい打たれて、自分が悪いことをした事を棚に上げ、殺してやりたいと思った時もありました。何て馬鹿な男だろうと思い返しております。

父も体が弱り、あと何年働けるかわかりませんが、失った親子関係を取り戻すように自分が動き、父をいたわり、話し掛けていきます。

妻に対して調べますと、妻は、借金に追われ無一文だった私を、助け励ましてくれました。それが出会った頃です。自分が弱い時には、何に対しても、「ありがとう。」と言っており、心から感謝をしていました。けれども、年月がたつにつれ、最近の私は特に、それが当たり前になり、してくれないと怒り、どなりちらす、本当にわがままな夫であります。

夫婦げんかをしても、自分は絶対に悪くないと思い込み、向こうがあやまっても、しかたなく許してやるような、思い上がった気持ちになっておりました。いろいろな原因は、本当は私にあったことに気付きました。内観に来て、なさけない、ふがいない自分を許せずにいる事に気付かされました。帰ったら妻にこのことを告げようと思います。本当にありがとうございました。

【坂村真民詩集】

《 草餅 》

妻が草餅をこしらえていた

草餅を口にするといつも母を思い出す

母はよくよもぎをとってきては

草餅をつくってくれた

父が急逝して母は残された五人の子を連れ

さびしい父の村に帰ったが

そこの草餅だけはおいしかった

わたしが幼い子供たちを

初めて母に会わすため

四国から九州に会いに行った時

母は別れを借しんで草餅をつくり

それを持たせてくれたが

それが母との永遠(とわ)の別れとなった

草餅には母の愛が熱いほどこもっている

妻がつくった草餅を母に供え母を思った

【仏語集】

父母を喜び敬うものの家は、仏や神の宿る家である。

家庭は心と心がもっとも近く触れあって住むところであるから、むつみあえば花園のように美しいが、もし心と心の調和を失うと、激しい波風を起こして、破滅をもたらすものである。

この場合、他人のことは言わず、まず自ら自分の心を守ってふむべき道を正しくふんでいなければならない。(本生経)

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第119号 だから、あなたも生きぬいて

第117号 幸せメガネ

第115号 運を味方につける法(下)

第113号 私の人生

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第118号 目標設定と3KM

第116号 将たる者

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