「人生は苦である」とお釈迦様はおっしゃられました。その世をどうすれば、できるだけ幸福に近づけるのか、今日は考えてみたいと思います。
最初に、確実に不幸になる法から、皆様に紹介しましょう。それは、次の三つのことを探すことです。「・・してもらってない」「・・してやったのに」「迷惑かけられた。」これを毎日続けると、確実に不幸になります。
他人の責任にしても、問題は解決しません。欲求不満の塊が出来上がるだけです。あげくの果ては、世を怨み人を憎み、最終的に自分自身にはねかえって身の破滅を招くのです。十善戒にも不瞋恚(ふしんに)がありますね。
また、複数の物差しを持ちましょう。ひとつの物差しだけで判断すると、争いや摩擦がおこります。人により物差しは違うのです。また、「ねばならない」「であるべきだ」というのも同様です。外国では、特にリーダーは、自分の人生観プラス部下の数だけの人生観・物差しを持てと言われています。
それから、できる人ほど陥りやすいのですが、イライラするし迷惑をこうむるので、つい、できない人を責めてしまうところがあります。いやな人に対しては、相手を「病人」か「天気」だと思いましょう。
天気に対しては、少し文句を言いこそすれ、誰も恨みに思いません。相手が赤ちゃんや病人ならば、しかたがありません。できればもう一歩進めて、「皆いい人だ」と思えれば相手も変わり始めるでしょう。真言宗は「大肯定」から始まります。
また、一番肝心なのは、「善想(よいことを思うこと)」です。そこから、幸せは始まります。「念ずれば花開く」ではありませんが、先ず「想い」そして「行動」することが幸せへの道なのです。心からすべてが始まります。
そして、「明朗・愛和・喜働・利他」です。明るく朗らかに、周囲と仲良く、他を楽にするために働きます。自分だけ、幸せになることはできません。回りの人々を幸せにすれば、自分も幸福になれるのです。自分がふしあわせだと思っている方は、微笑みだけでもいいのです。小さな親切を一日ひとつしてみましょう。
また、ないものではなく、自分が持っている「現在の幸せ」を数えましょう。あたりまえと思っているものや事が本当に当たり前なのでしょうか。太陽や空気や水がなかったらどうなるでしょう。イスラエルやアフガニスタンの人々と比べて見てください。世界には、毎日の食事にも事欠き、寒さに震えている人々が大勢いるのです。
悩んでおられる方は、「今日一日を生きてみましょう。」変えられるものと変えられないものを見極め、変えられないものは受け入れ、変えられることはゆっくりと行動によって変えていきましょう。
お釈迦様のおっしゃられるように、「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はまだやって来ない。だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践すべし。ただ今日なすべきことを熱心になせ。誰か明日の死のあることを知らん。」(『マッジマ・二カーヤ』)なのです。
また、聖書にも、「明日のことまで思い悩むな。明日のことは、明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで足りん。」とあります。
話は変わりますが、次のような説話もあります。昔、中国に{釈慧かい}というお坊さんがいて、山奥で座禅をしていました。そこへ、一匹の無頭鬼(頭のない鬼)が、「あの坊主をびっくりさせてやろう」と思ってやって来ました。ところが、{慧かい}は驚かず、逆に鬼に向かってこう言ったそうです。「おまえは頭がないから、頭痛で苦しむこともないだろう。それはとてもいいことだ。」これを聞いた無頭鬼はびっくりして、たちまち姿を消したということです。欠点でさえ長所と考えることができるのは、究極の仏教的思考といえるでしょう。
また、坂村真民先生の『幸せの帽子』という詩があります。
すべての人が幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすと
やってくるものではない
時には不幸という
帽子をかぶって
やってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするのだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶせられたが
今から思えば
それがみんな
ありがたい
幸せの帽子であった
それゆえ神仏の
なさることを
決して怨んだりしてはならぬ
そうです、苦難は幸福に入る狭い門なのです。暗いトンネルを抜けると、奥には明るい世界が待っているのです。
そして、一日の最後に「今日感謝できる3つのことを数えてみましょう。」例えば、野辺に小さな花が咲いていた。Aさんに親切にしてもらった。今日もご飯が食べられた。・・・・・。小さなことでいいのです。そうすれば、確実に幸福になれること請け合いです。是非試して幸せにおなり下さい。合掌
執着があれば、それに酔わされて、ものの姿をよく見ることができない。執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。だから、執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる。
悲しみがあれば喜びがあり、喜びがあれば悲しみがある。悲しみも喜びも超え、善も悪も超え、はじめてとらわれがなくなる。(法句経)
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