今回は『職場の教養』を発行している社団法人 倫理研究所から、その創始者である丸山敏雄先生の教えと伝記、『幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝』(丸山敏秋著 近代出版社)が出版されましたので、皆様に紹介させていただきます。ここに引用させていただいたのは、ごく一部ですので、是非全文読まれることをお勧め致します。
できない、難かしい。よくよく見ると実は、何もやっていないということがほとんどである。やらなければ、できるようになるはずがない。やるのは一日一回でよいのだ。
ある女性は、目が覚めたらサッと起きる朝起きが苦手で続かなかった。ある時、丸山敏雄に物事が終始一貫できる秘訣を質問した。
「終始一貫とは、明日の朝ひと朝でいいんですよ。あなたは終始一貫を何十年と思っている。人間、明日もわからないのです。よけいな取り越し苦労をしないで、『明日の朝ひと朝』が、終始一貫なのです」
彼女はこれを聞き、「ああ、それなら出来るかも・・・。ひと朝ぐらいなら出来る」と思った。
「いつもそういう気持ちでいれば、ちゃんとできます」さらにそう言われて、気持ちが軽くなった。その後、一貫して朝起きができる人になった。
一日一回繰り返すこと、それが上達の秘法であり、成功の秘訣である。
これは、ある家庭の実話である。半年くらい前、ある事情から家屋敷を他人にゆずって、その十分の一にも足らぬせまぐるしい一隅に、おしこめられてしまった、十人に近い家族が・・・・・。
その時はさすがの豪放な主人も、明朗な夫人も、快活な家人たちも、全く悲しみにとざされた。かくして幾日かのもだえの後、ふとしたことから「これがよいのだ」と思い至った主人は、一家の人たちにこれを語った。皆よく納得して、これから先々、「……がよい」ということを、家の標語にしようと約束した。
それからである。「お米がない」とお母さんが言い出すと、「がよいのですよ」と娘さんが言う。「部屋が窮屈で困るね」とでも、ついうっかり主人が言い出すと、「がよいんでしょう」と男の子が言う。
去る年の二度の大患の後、御主人のおなかには、いまだに胆石の固まりが残っていた。いつとはなしに思い出してさすりながら、「まだ固まりがとれぬ」と独り言のようにいう。そばにいた奥さんが、「がよいのでございましょう」と。さっそく一本まいって、「ハハハ!」と笑い出す。いつの間にか固まりがとれてしまった。
こうして、一家は、日に日に明るくなった。家の中の細かいこと、朝夕のこと、食物のこと、来客のこと、そして、いろいろの外のことまで皆、順調にすらすらと運んでいった。(中略)
「百難に効果てきめんの『がよい』の標語を、私の一家で独占するのは、もったいないようです」と、にこにこしながら夫人は語った。
苦難に直面した時、どうすればよいか。ブレィクスルーの秘訣がここにある。
「これがよいのだ」
「・・・がよい」
まずは、こうした言葉を口にだしてみることだ。不平不満や泣き言を言う前に、「これがよい」と言ってみる。言葉を変えれば心も変わる。不思議に苦難を嫌う気持ちが薄れてくるだろう。
遭遇した苦難は、どんなにそれが辛く痛いものであっても、「これがよい」と受けとめる。そこから次の道が拓けていく。
飯田史彦氏はプラス思考を超えた「ブレィクスルー思考」をこう定義している。目の前にある壁(問題や障害物)そのものに価値を見出し、すべて「順調な試練」として受け止めることにより、その壁を自分の中に吸収しながら成長をはかり、一見閉じられているかのように見える状況を突破してしまうような発想法。
丸山敏雄は、「苦難を喜んで受けとめる」と言った。この「喜んで」という言葉に、プラス思考を超えたブレィクスルー思考の真髄がある。
「苦難の黒幕がひらかれた時、その奥には、明るい幸福の舞台が用意されているのである。」(『万人幸福の栞(しおり)』より)
急ぐな。先のことを心配するな。自然にまかせて処置をとれ。これでよい。喜べ。
宝石は地から生まれ、徳は善から現れ、智慧は静かな清い心から生まれる。広野のように広い迷いの人生を進むには、この智慧の光によって、進むべき道を照らし、徳の飾りによって身をいましめて進まなければならない。
貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさという三つの毒を捨てよ、と説く仏の教えは、よい教えであり、その教えに従う人は、よい生活と幸福を得る人である。(四十二章経)
*あなたも メールマガジン「幸福ニュース」を購読しませんか。費用は、無料です。 下記に登録するだけで、E-MAILで毎月3回自動配信されます。 メールマガジン登録 メールマガジン解除
|
|