水牛や牛で耕しその糞で土着菌堆肥を作り畑に入れ、作物を収穫する。アイガモを田んぼに放し、化学肥料や農薬を使わずに米をとる。米だけでなく鴨肉や鴨卵まで頂く。正に循環型農業である。
しかし、技術だけでは農業の生産性は上がっても地域社会は良くならない。本当に循環型農業を実践出来る農民とは、古来日本の百姓が持っていた「畑から作物を頂いた後にお礼肥を畑に返す、自然に対する畏敬と感謝の念を持った人」のことである。
自然と農民の間には、人が自然に生かされていることを悟り、それを受け入れた人との「与え合う循環」が存在する。私の大学時代の恩師は、これを「循環無端」の境地と呼ばれ、私に目に見えない文化があることを教えて頂いた。
「循環型農業」と言う言葉は「有機農業」や「自然農法」ほど一般化した言葉ではない。しかし、私はその言葉に上述のような思いを載せて使っている。
私は昨年5月までミャンマーで6年間循環型農業の指導と小学校の建設プロジェクトなどに当たっていたが、ミャンマーで受け入れられた技術は、炭焼き、土着菌堆肥、味噌作りなど、日本の伝統と農村の文化の香りのするものばかりであった。
私にとって循環型農業の実践は、循環型共生社会へ向けた一歩である。土着菌の堆肥を通して「人と自然」の間に与え合う循環を創造するように、慈悲の実践によって「人と人」の間にも与え合う循環が存在する社会を目指す。
「give & take」の西洋型の社会のあり方でない、仏教の教える「give & give」の社会ができればこの世は正に極楽となるであろう。
人間の欲にははてしがない。それはちょうど塩水を飲むものが、いっこうに渇きがとまらないのに似ている。彼はいつまでたっても満足することがなく、渇きはますます強くなるばかりである。(方広大荘厳経)
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