大学生の方が夏休みを利用して、遠くから内観を受けに来られました。今回はその体験感想文です。
内観に来て、初日は思い出せることが少なくて不安になり、先生に「思い出せないけれど、思い出せるようになるのですか。」とお聞きしました。けれども続けて母に対する自分を調べていますと、これまで私がどれ程の迷惑や心配を母にかけていたのか、ということに気が付きまして、思い出すことが段々と増えてまいりました。
大学1年生の時の迷惑のかけようを思い出しまして、涙がぼろぼろと出てきました。自分は何と言う悪いことをしていたのだろうと思い、内観に励んだのです。
次に、父に対する自分について調べていきました。すると、最近父を遠ざけていた私が、幼い頃にどれだけ父にお世話になったかを思い出すことができたのです。今まで記憶の底に沈んでいた、とても幸せな頃が思い出せたという事は、とても大きな幸せでした。
自分はこんなに幸せな生活をしていたのだと気付きますと、今度は現在の自分に満足していない私の気持ちを恥ずかしく思いました。そして同時に何故こんなにも楽しい思い出を作ってもらいながら、何故こんなにも幸せな人生を歩ませてもらいながら、父を遠ざけているのだろうと、悲しく情けなくなっておりました。
今回の内観に来ることが出来たのも、全て父がくださった成人祝いのおかげなのです。今では、一時も早く母と父に謝りたい気持ちで一杯です。
再度母に対しての自分について調べ始めたのは、四日目のことでした。小学校入学以前のことは、ほとんど思い出せなかったそれまでが嘘のように、ありありとその頃の自分の姿や情景などを思い出すことができたのです。
思い出せるようになってから思ったことは、自分が忘れていたと思っていた記憶の中でも、私は母のお世話になっていて、その頃が最も手のかかる時期であり、全てを楽しむことができたということです。
最も迷惑をかけた大学一年生の頃も再び調べましたが、今度はぼろぼろと涙を流す事はありませんでしたけれども、親不孝をしたという悲しみと、それでも私を思い続けてくれている母のやさしさが、私の心にゆっくりと染み込んできて、涙がすーっとほほを伝ってまいりました。
父についても再度自分について調べました。やはり思い出せることは多くなり、父は毎日私や弟達のために汗水流して働いてくださり、休日は私達を楽しませる為に、色々な所へ連れて行って下さいました。
それを思うと、父は自分の命を私達の為だけに使って下さっているのではないだろうかと思い、自分のことしか考えていない私は何と小さい存在なのだろうと、思い知るばかりでした。
最後に最終日の今日のことですが、二男と三男である弟に対しての自分を調べると、いつもいつも迷惑ばかりをかけていました。弟が靴を貸してくれても感謝もせず、しかもその靴を汚してしまっても洗いもせずに返し、弟に洗わせるしだいでした。他にも受験勉強をしている時は「うるさい」などと怒鳴ったり、けんかをしては殴ったりしていまいした。
そのようなことばかりしていた私を情けなく思いました。今後は弟達に対し、少しでも誇れる兄になれるよう努力していきたいと強く思っています。
このたび内観をするにあたりまして。お世話をしてくださった先生方、また、おいしいご飯を作ってくださった方々には心から感謝したいと思います。ご飯はとてもおいしかったのですが、私が好き嫌いが激しい為にたびたび残してしまったことを深く申し訳ないと思っております。
内観を経験できて本当に嬉しいと思っております。ありがとうございました。
心は抑え難く、軽く立ち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。怨みを抱く人のなすことよりも、かたきのなす悪よりも、この心は、人に悪事をなす。(法句経)
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