牛糞は一般的に堆肥を作る時の材料の一つだが、私がいたミャンマーで農民は堆肥を作っていなかった。彼等は牛糞や水牛の糞を直接畑に入れて農業を営んでいた。
タイも同じ文化圏であるが、タイの場合は早くから日本の世界救世教(MOA)がサラブリ県(タイ中部地域)にデモファームを建設し、EM菌の生産と堆肥の普及活動を行っていたので、私が滞在した1995年頃には殆どの農民がEM菌や堆肥について知っていた。
堆肥を作る場合の主要な材料の一つは家畜(牛豚鶏など)の糞だが、それらの家畜の糞を直接畑に入れた場合と一旦堆肥を作り投入する場合とではその効果が全く違ってくる。私は学者ではないので十分な説明は出来ないが、経験上感じていることをお伝えしたい。
分かりやすく説明すると牛糞と堆肥の違いは、ご飯とお酒の違いである。それらは両方ともお米が原料である。お米を炊くとご飯になる。そしてそのご飯は3日も放っておくとカビが生えて腐り食べれなくなる。しかし、腐る前に食べればそのご飯は私たちのお腹で消化吸収されて栄養となる。
一方、お酒の場合はどうかというとお酒も飲めば栄養になる。と同時にお酒にはもう一つの別のエネルギーが存在する。お酒を飲むと体が熱くなり酔うことが出来る。
また、お酒は炊いたご飯のように2〜3日では腐らない。それは微生物による醗酵と言う働きがあるからである。お酒が出来る過程でお米のいのちは死んでしまったが、お酒の中には微生物の命が生きている。
堆肥も作る時には菌を入れて醗酵させ、何度も切り返しを行いながら堆肥の材料を分解していく。森の中から良い菌を探せた時には醗酵の温度は70度を超え堆肥は土着菌の塊になる。
だから、堆肥の中には微生物のたくさんのいのちが育まれ、それが畑に入った時に作物が養分を吸収できるように助けてくれるのである。我々の目には見えないが、自然の中の幽玄な働きである。合掌 (農苑長 平野)
ものの姿を見て、これに執着するのは、迷いの心を招く原因となる。もしも、ものの姿を見ても執着しないならば、はからいは起こらない。さとりは、まことの道理を見て、計らいの心を離れることである。(りょう伽経)
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