内観をさせて頂き、帰宅直前の今、とても不思議な気持ちでいます。こちらへ来る動機となった2年間続いている症状は少しも気にならず、今までの生活がいかに満たされているものであったかを内観を通して感じたせいではないかと思います。
母に対して考えてみると、今まで私が気にとめていなかった言動の中にも、私への思いやりが込められていたのではないかと、感じるようになりました。今でも十分お世話を受けていますが、過去にも面接ではお話できない程のお世話をして頂いていました。
内観によって思い出されるのは、与えて下さった物や言葉だけでなく、表情も同じように鮮明に思い出すことができ、私はそれだけで泣けてきてしまいました。
「何かがどうだから--------で--------。」という、間のあいた場所ではなくて、もっと近いところに母はいて、私をいつも支えていてくれたのだと分かりました。
私は自分の事も分かっていなかったので、そのうらやましさがねたみとなって、自分が病床にいるという状況を逆手に、いつも突き放すようなことを言っていたのだと、今更ですがとても反省しました。母からしてみれば、どれだけでも言い返すことはできたのに、いつも泣いてあやまってくれていました。母は私がこの先、何をしてお返ししたら許してくれるのでしょうか?
父に対する内観もさせて頂きました。父とは楽しいことばかりおもいだせるのだろうと思っていましたが、想像以上にご迷惑をおかけしており、そのくせお返しした事は見つけられませんでした。
今までの養育費を計算させてもらいましたが、とんでもない額でした。私には妹もいますので、単純に2倍すると大変な金額です。父は私達の為に働いてくれるだけでも十分なのに、それ以上の事をしてくれました。母は父の働いて得た賃金を、父と協力して私に与えてくれた事と同等のお返しを、きっと私がすることは出来ないと思います。
一週間の内観を終え、私の初めの目的がどんなものであったか忘れてしまうほど、今は気持ちが軽くなっているのが分かります。
私は運良く多少の病気を治すことができ、完治しにくい病とは共存し、一番愛している人と結婚させて頂き、今はまた独りでやり残してきた学業に励んでいられます。それなのにどうして自分の居場所が見つけられないと甘えた事を言っていられたのか、たぶん文頭に述べた「不思議」というのは、こんな事も含まれているのだと思います。
今までは自分が少しも信じられず、他の方からどのように思われているのか気にしながら生活していたように思います。自分さえ自分の事が分かっていない人を、他の人が信頼できるわけがないのに、自分の自信の無さが他の方を不安定にしていると気付き、(理由はそれだけではないと思いますが)驚いています。
内観をし、あんなに素晴らしい両親が一生懸命育てた「私」が、自分に対して自信を持てないでいるというのは、両親にとっても辛い事なのではないかと、今感じています。内観をすることにより、自立できていない私と、その私の足となって下さっている両親をみつけることが出来ました。
これから先の具体的な目標は、毎日を過ごしていく中で見つけて、達成して、見つけて、達成して--------------と繰り返していければよいのではないかと、少しのんびりですが考えていることころです。
私の悪い癖も知る事ができましたし、両親が私の為に与えてくれたものがとても大きい事を知りました。おそらく、私はもう、自分が独りだと嘆くことも、独りで疲れきることもないのではないかと思います。
最後に何度も面接してくださった先生方にお礼を申したいです。今までずっと控えてきた私の辛い体験を聞いて下さってありがとうございました。内観から遠い所ではありましたが、とても楽になれました。
世間は負け犬とかいうけれど、どちらかというと私は「セレブ」です。すべてオーダーメイドの一流品の中で育ってきましたから。本当にありがとうございました。
人もよくないことから起こる災いを見て、心を閉じ込め、悪い思いを破り捨てなければならない。貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと損なう心を砕いて、貪らず、瞋(いか)らず、損なわない心を育てなければならない。{雙(そう)考経}
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