(妹との比較から開放されて) |
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先ずは、母に対する内観です。私は幼い頃から、出来の良かっ た妹と比較されつつ成長してきましたので、母からの愛情が妹に 比べて少ないとずっと思っていました。
母は3年前に他界していますが、私は51才になった今でも母 から可愛がってもらっていないという思いがいつも心の隅にあり ました。
年代別にその時々の母との関係を調べているうちに、母にして もらった事は沢山あるのに、当たり前だと思っていた。当たり前 の事すぎて、してもらったという意識すらなかったことに気付き ました。そして、如何に私が母に対して何もしてあげていないか も知りました。
私は人生を自分勝手に思うままに生きてきました。かなりの年 代になって、学校に行く事が30代で1回と50代で1回ありま した。娘が50代母が70代で、もう養育の手もとっくに離れて いるのに、母はいずれの時にも仕送りをしてくれました。
世間では、もうその年になっていまさら学校に行かなくてもよ いだろうにという声もありましたが、母は、「すごいね。がんば ってね。応援するからね。」と言ってくれ、度々お金や衣類や食 品の詰まったダンボール箱を送ってくれました。
そうは言っても、内心では心配もかけただろう、お金だって老 後の蓄えを私に送ってくれていたんだろうなと気付いて、母の私 に対する愛情が少ないとずっと恨んでいて、申し訳ないと心から 思いました。
次に、父に対する内観をしました。私の中では父の影は薄く、 高校卒業後すぐに離れて暮らしていた事もあり、成人してからの 父との記憶が思い出されませんでした。
そんな事を面接者に申し上げたら、「お父さんがもし、いなか ったらと思って調べてみては。」と言ってくださり、その後の養 育費の計算の結果からも、いかに父が働いて生活を支え、私を育 ててくれたのかを知ることができました。
私の父親は良く働き稼ぐ人ではありましたが、道楽も人一倍で、 おまけにお人よしでした。母はいつもやりくりに追われていまし た。
私は自分の父親のことを人に語る時には、父のマイナスイメー ジのことは一切言わず、いつも良いところだけしか言いませんで した。しかし、そのことではいつも、私は父のことで嘘をついて いる自分を意識していました。それは父の悪い所を見ようとしな い姿、父の全人格を受け入れていないことであったと思います。
内観していると父にも確かに悪いところ、父として誇らしく思 えない点もあるけれど、それを上回るくらい父にしてもらったこ とが次々と思い出されて、マイナスの部分なんかあっても、そん なことどうでもいいじゃないか、お父さんは一杯働いて、私に不 自由のない生活をさせてくれて、私をずっと見守っていてくれた んだと思い当たりました。父の影の力を感じることができました。
このような事が、母と父に対する2回の内観でわかってきまし た。そして、内観に入って3日目の朝のお参りの時、自分でも 「あれっ」とびっくりするような事がおきました。
常々、私はお寺や神社にお参りをする時は、自分の願い事をた くさん並び立て、ついでのように、しかも気が向いたときだけ、 「あの世の両親が安らかでありますように」と最後に付け足すよ うな有様でした。しかし、内観3日目の朝には、自然と一番初め に「父と母が安らかでありますように」とお祈りしていました。
しかも、これまで私は、母が一番父が二番と、なんとなく順位 をつけている所があり、極楽の両親に何気なく呼びかけるような 時にも、つい「お母さん、お父さん行ってきます。」など言うの でしたが、この時は自然と「お父さん、お母さん」と言っていま した。
今までは、父に対して、母に対するより一層感謝の気持ちを持 っていなかったことも内観で知りました。色んな気付きを与えて いただきました。
7日間にわたる長い内観の間、いつも変わらぬ態度で面接をし て下さいました面接の先生方をはじめ、お料理を作ってくださっ たり、清潔なお風呂に入れてくださいました皆様に、心からお礼 を申し上げたいと思います。
7日間の内観には、こういった支えて下さるスタッフの皆さん のご協力が絶対に必要で、その方々のお蔭様で、内観で多くの とを得る事ができたと思います。
食事もおいしかったです。「いただきます」「ごちそうさま」 という当たり前の事が、意識して言えたことも、私にとって嬉し いことでした。 (終)
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