私が今回の集中内観に参加するきっかけは、妻からの何気ない 一言からでした。私は妻に独り言のように、つぶやいたのです。 「自分探しをしているんだよねー。」すると妻は簡単にこう言っ たのです。「内観に行ったら?」「したら」ではありません。「行ったら」 です。集中内観に行ったらどう?と言っているのです。
妻も当時、原久子先生の本を読み、原先生の研修会にも一日だ けなのですが参加しており、私なりに内観とはどういうものなの かを何となくイメージはしておりました。
自分に向き合う・・・素直に向き合う。そこに嫌な自分がいる のは分かっています。思えば、それまでは避けてきたようにさえ 思いました。
妻の言葉に今回私は即座に「是非行きたいので、お金を工面で きるか?」と聞きました。妻はすぐに「出来る。」と答えてくれ ました。現状の我が家の家計で、5万円は決して小さくない金額です。 ありがたい妻です。また、私自身も今回を逃したら後悔する事に なると感じ、内観することを決めたのです。
ネットを検索すると福岡県内において内観できる所はいくつか ありましたが、私は迷うことなく蓮華院誕生寺を選ばせていただ きました。以前から気にはなっていたのですが、今まではスケジ ュールが合わないと無理矢理に理由をつけて断念していました。
内観合宿が始まる際に気になったのは、携帯電話が使えなくな ることでした。考えてみれば、自分が気がつかないうちに、全て の情報は携帯から受け取っていたのでした。いつのまにか依存症 っぽくなっていたのかもしれません。しかし、いざ携帯が手元に なくなると、意外なというか、正直全く気になりませんでした。
私が合宿の間、妻は一人で大丈夫だろうかとか、事故にでもあ っていないだろうかなどと考えていた時もありましたが、その時 にはきっと連絡が入るだろうと信じ、考える事をやめることにし ました。
まず、母についての内観を始めました。しかし、周りの音が以 外に入り、以外に大きく感じ、私は集中できませんでした。人の 足音や声などを理由にして集中しないようにしているのか、とす ら思いました。
母や父に対しての内観を続けていますと、嫌な自分をやはり沢 山発見しました。しかし、私は内観はこんなものではないはずで はという思いもまた感じていました。
それは4日目の昼過ぎの頃でした。ついに私は、妻がいかに私 の事をいいつもいつも心配しているか、どれだけの想いで私の事 を見ているかに気付くことができました。私は流れる涙を止める ことが出来ませんでした。
私はそんな妻の思いの上にあぐらをかいている、なんと傲慢な 人間なんだろうと痛切に感じることができました。それ以降は反 省ばかりの時間でした。
私は妻に一刻でも早く会いたい、会って謝りたいと思いました が、電話できないという規則は規則ですので、あきらめることに しました。しかし、その気持ちはもちろんまだ持っています。今、電話で 妻の声を聞くだけで、泣いてしまうと思います。この思いは内観 をしたからこそだと思います。
それ以降の内観は、もう一度母を行い、義父を行い、再度妻を 行いました。やはり私は傲慢な人間だ、それをわかっていなくて、 周りに不満ばかりを言い、周りのせいにばかりしていました。 それが分かっただけでも大きな一週間でした。このまま、もう 1週間でも内観したい気分です。
内観に正しいとか、正しくないという答えはないと思います。 また、これがゴールであるというのもないと思います。私はこれからも出来る限り内観を行い、また、タイミングとお金が許せば、また集中内観を受けたいと思います。
大山先生はじめ、お寺の皆様本当にありがとうございました。 アンケートにも書きましたが、食事のご配慮感謝いたします。台 所の皆様ありがとうございました。勤行のご配慮感謝いたします。 また、この出会いを感謝いたします。皆様本当にありがとうござ いました。
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