母、父、妻、親戚について内観しました。
生まれてより亡くなるまでの50年間。一緒に暮らしたのは 13年間だが、いつも心にかけてもらっていたと今更に思う。
小学6年から高校卒業までの7年間は、関東で働き、生活費 と学費を稼いでくれた。手紙を書いてくれ、衣類や食べ物を頻 繁に送ってくれた。
その母に一度だけ手を上げたことがある。悔やんでも悔やみ きれない。そういう母への感謝が、内観で非常に深まったと思 う。
生まれてより亡くなるまでの40年間。一緒に暮らしたのは 中学までの15年間。残りの25年間は、父は入退院を繰り返 す闘病生活だった。
小さい時、寝物語に偉人の伝記を読んでくれた。聖書の話も 聞かせてくれた。長い病床にあって、私の事を案じていたと思 う。
40才で結婚して20年くらい経つ。10回の転勤生活を経 て、やっと終の棲家に落ち着いた。彼女に対して手をあげたこ とはないが、果たして優しい夫であったか。
妻がしてくれたことや迷惑・心配を沢山かけたことはある。 中でも、仕事上の賠償事件が起きた時は、妻の支えがなければ 乗り切れなかったと思う。
次回の内観でも、よく見えなかった他のことを更に調べる必 要がある。これからは妻に対して謙虚に、また家事を分担して、 数年に一度は一緒に外国旅行が出来ればと思っている。
大分年がはなれているので、兄と言うより父親代わりに近い 存在である。37才で結婚するまで、色々あり、そのことでは 随分心配をかけた。
父については殆んどが寝たきりの30年間家にあって、病院 にあって面倒をみてくれた。母についても晩年の10年くらい を共に過ごし、母も幸せであったと思う。
高校生の時、家出と無賃乗車をして大阪駅で保護された時、 兄が迎えに来てくれた。さんざん怒られて当たり前なのに、兄 は何も言わなかった。今に至るまで何も言わない。
今にして思えば、18才で十分成熟しておらず、親離れも出 来ていない、私の甘えのようなものを見て取り、黙って見守る よりほかないと、父親の立場で見ていてむれたのかも知れない。
私や父母についての心配が時期的にそっくり兄と重なる。私 については、食事、弁当、洗濯。父については、家に居る時は 下の世話、体の清拭、病院に居る時は見舞い、洗い物。
母についても、食事、洗濯等のかなりの重労働があり、それ が終ったのは、兄嫁が64才の時になる。元は赤の他人の為に、 兄嫁という立場になったばかりに、精神的な負担も含めて担っ てくれた。感謝するよりほかない。
全寮制学校の教頭。5才くらい年上。3年間一緒に勤務した。 私達夫婦を学校に呼んでくれた中心人物だが、2年目位から小う るささが鼻につくようになった。段々反発するようになり、き ちんと和解できない状態で退職した。
して下さった事が沢山あり、人間的にはとても良い人だと思 っているのに、内観しきれていない。次回の課題である。
結婚して以来、家に何度も泊めてもらい、正月等の集まりに も呼んでもらい、3年間留守中は、時々家を開け、庭の手入れを してもらっていた。
しかし、退職後実質仕事をしておらず、また、酒癖がよくな いことから批判的に見ており、内観しきれていない。次の課題 である。
高校までを共に暮らし、その後別々の道を歩んだ。兄は妻子 と別れ、定職も失い、去年から目と鼻の先の実家近くで暮らす ようになった。
過去に金銭を援助したことが、私と妻との感情的もつれを引 き起こしており、これからも内観の課題である。
回りの色々な人に対して内観したが、まだ十分ではないと思 っている。これからも日常内観や集中内観を行い、人間関係の 課題を解いていきたい。
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