今回は、マークス寿子著『本物の考える力生きる力勉強法』(三笠書房)をご紹介させていただきます。小供をお持ちの方は一読の価値ありです。
イギリスでは、勉強とは、徹底して「考える力」を鍛えることである。小さい頃から常に「自分の意見」を求められ、時には親と子が交渉し、教室では発表が行われる。よくも悪くもそれが国民総じて考える文化をつくりあげている。
自分にとって「最高の選択」ができる力・・・それが本当の勉強力
解答はつねに複数用意しておく!正しい答えはひとつとは限らないし、そこへ到達する道筋もひとつではない。
厳しい競争を勝ち抜いていくには、自分の視野をできるだけ広げることが重要になってくる。それにはできるだけ多くの情報を手に入れる必要がある。
日本人は考える教育というものを受けてきていない。指示待ち世代。「マニュアルはどこにあるんですか」「教えてください」
コンピューターの問題・・・コンピューターは考えるということを一切しない。考えているように見えても、2進法の世界だから、常に二者択一問題のどちらか一方を選んでいるだけのことである。考えることそのものは、あくまで人間自身が行うものなのだ。
反論に反論が繰り返される英国、痛みを恐れて問題を掘り下げない日本。
イギリスでは、知識を増やすことよりも、力をつけていくことによる達成感を体験させることに重点が置かれている。
大学で著者の出す試験問題は正解がない。考えるプロセスが大事なのであって、答えがイエスであるかノーであるかは評価の対象ではない。
イギリスでは、自分の意見がなければ、考えたことにはならない。
日本の大学生を見ていて、いちばん気になるのは、自分で問題を発見できないということである。だから、問題を与えてもらわないと何も始まらない。テーマを与えられても、何が問題なのかわからないから、問題を与えてくださいと言う。そして問題を与えられると、以前に講義で聞いたことだけを書くのである。正解はたった一つと考えているから、どうしてもこういう思考プロセスになってしまう。
ほんとうの意味での考える教育を受けていないから、外務省や厚生省や農林省の役人は問題の所在がわかっていないのではないか。
理論立てて説明できる自己表現力を小供の時から育てることが大事である。グローバリゼイションという時代の流れのなかで一番大事なのは、語学力よりも、自分の考えていること、感じていることをいかに伝えることができるかである。それが出来なくて、すぐキレたり、暴力をふるう日本人が増えている。
時には緊張感を持った議論の場が必要であり、教育にもそのような授業があっていいのではないか。それは、言葉のキャッチボールがきちんとできるようにするところから始まる。そういうことが、日本の行政機構や外交の足かせになっているといったら言い過ぎだろうか。
読書はテレビや映画と違ってイマジネーションを育てる。
最近のパラサイト(寄生)族は、イギリスでは考えられない。大人になるとは自分で自分の生き方を決め、責任をとること。それが自立しているということである。
パブリックスクールの目的は、知識が豊富な人を育てることではなく、マナーを身に付け、人間として信頼できる人を育てることにある。イギリス人は「個人の自由、個人の権利は大切だが、社会を守るために、個人は自分の自由や権利を犠牲にしなければならないときもある」ということを徹底して教えられる。
日本という国はバランスをとるのが非常に難しい国である。右へならえ、長いものには巻かれろ式の考え方をする人が多い。日本では思想がファッションになると指摘した人がいたが、まさしくその通りである。
911のニューヨークでのテロそしてアフガニスタンでの戦争に関して、イギリスの小学校の「社会」の授業では、先生は何も言わないで、生徒達に自由に意見を言わせるようにしていた。それぞれが自分の考えるところを述べ、また、他の生徒の意見を聞く。結論はださなくてもいい。ただ、自分の考え方を構築し、発表するという技術を学ぶのである。
いつも異なった視点を頭の中に置いて、考える力を鍛える。ディベート思考で初めて問題の所在がわかる。何が問題であるかを発見し、その問題に対応する能力は、今の日本の詰め込み教育では養われないだろう。
リーダーとは組織全体の傾き加減がよく見える人のことでもあり、バランス感覚を養うことが大切である。
人間社会の基本的なルールを叩き込むことこそ、大事な勉強。人間づくりは母親から始まるが、このままでは将来が危ない。
強い人、幸運な人に許されるもうひとつの喜びとは人を助けることである。イギリス人は素直に、「私は助ける立場にいて、人を助けることがうれしい」という。
よその国よりも技術が進歩しているので、アマチュアが簡単にプロになれるのも日本の特徴である。そうするとプロになるための努力をしなくなる。一芸に秀でているのがプロだが、プロとして一芸を極めるためには、他のさまざまな芸でそれを支える必要がある。そういう本物のプロが少なくなっている。
国際化されればされるほど、自分の国以外にほかの国を知る、そして世界を知るというように、多方面にわたる教養が必要になってくる。プロとして上のレベルになればなるほど、その教養は広くあらねばならなくなるだろう。
日本では、平和に仲良くすることを前提にして勉強が行われている。争い、もめごとを想定して、どう対処し、どう解決していくか。そういう考える力をつける簡単な方法がある。それは、「自分がその立場だったらどうするか」と考えてみることである。こうすることにより、現実世界における判断力、決断力、問題解決力が養われるであろう。そして、それにより身に付けた判断力や選択力を、毎日の生活のなかで生かすようにすると良い。
これからは、「自分はどう思うか」「自分はどうするか」、それを表現できなければ、国際舞台ではもちろん、国内であっても満足な仕事はできない。
一国の「生きる力」というものは、一人ひとりの「考える力」に左右されると思う。もっと一人ひとりが、あらゆる問題にしっかりと目を向け、そこから本物の実力をつかみとってほしい。今がいいチャンスである。勉強の材料はあちらにもこちらにも無数にある。愚痴ったりする前にまず始めてみるといい。それが本物の勉強の第一歩になるだろう。
五力とは、次の五つである。信ずること。努めること。思慮深い心を保つこと。心を統一すること。明らかな智慧を持つこと。この五つがさとりを得るための力である。(華厳経)
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