私は、父の浮気と死について、許せない自分がいました。「やっぱり男は、若い女の方がいいんだぁ。」とか、家族は別に大切じゃなかったんだぁ、あの人は・・・。」なんて考えてました。
あの時は本当に地獄でした。何で私の父はこんなことするのか。何でもっと子供や母の事を考えてくれないのか。どうして家に帰ってきてくれないのか。金が父をかえたのか、と。
しかし、内観に来てわかったことがたくさんありました。別にお坊さんが私に何か話してくださる訳じゃなく、自分自身で考えて、思い出して話すわけだけど、ここに来る前は、10あったら10自分のことはわかってるつもりだったけど、ここに来ると、もう1人の自分に出会えた気がしました。
まず、母のことを生れた時から小学校までと、何年間かにくぎって、その頃してもらった事、して返した事、迷惑かけた事と、順々に考えて話しました。考える時間も2時間ぐらいあり、本当に真剣に思い出そうとすると、本当にかすかではあるが思い出すんです。
1日目、2日目は母のことを考えて話しました。周りでは、面接の時、他の人が泣いているのがわかりました。そんな中、私は涙も一滴もでず、ただただ自分の親不孝に反省しつつ、母って本当は女らしかったんだなあって思ってました。
3日目に父の事を考え、父の事を話しました。小さい頃父はよく魚釣りや、カブトムシとりや、海や川やどんぐり取りや旅行など、たぁくさん連れてってもらってたみたいだったんです。父には昔よく遊びにつれてってもらってたねって事は、自分でもわかってたつもりでした。でも全然わかってなかったんです。
何時間もかけて父の事を考えていくと、本当に色々とでてくるんです。しかも、その時の父の気持ちを考えていくと、本当にせつなくてさみしくて悲しい気持ちになりました。多分その時の父の気持ちは、こうだったと思います。「あたたかい家庭にし、良い父でありたい。そして、一人娘の私がかわいくて仕方ない」って思ってたと思います。今思い出したのですが、私は小さい頃からずっと父にお姫様って言われてました。「お前はうちのお姫様って。」
父の浮気が原因で、家族がめちゃくちゃになったって思ってたんですが、それは本当に私の自己中心的な考え方でした。
私が中学生から、父が死ぬまでの22才、私は家族に対して迷惑をかけたことが、たくさんありすぎました。中学は髪をそめ、タバコ・酒と、父の理想の家族像がくずれたのはこの頃かもしれないと思いました。
そしてシンナーや覚醒剤。病院にも行かされ、しかも私は本当に病気だった父に、絶対言ってはいけない言葉、「はよ死ね!」などはいた事があった。「あー。父に会いたい。そしてあやまりたい。」ってこのときは思いました。
そして父への内観が終り、また母に戻り、そして父になった。2回目の父だ。1回目の父は少し涙がでた。でも2回目は、たまらなく泣いてしまった。1回目は、「あー、悪かったな。会いたいな。」で泣いたが、2回目は違っていた。父も私と一緒だったんだって思った。「現実がいやだったんだって。」
でもその現実をつくってしまったのは、この私である。父はどんどん娘が変わっていく姿を見たくなかったのだろうと思ったと同時に、私が変わっていくにつれて、夫婦(父と母)の間でも、私の事でケンカしてたかもしれない。
そして、娘からは突き放され、母からは責められて、父の居場所がなかったからかもしれない。人を責めるのはとっても簡単である。しかし、自分を責めるのはとても辛い事です。
父が死んで3年たって、今内観に来らせてもらって、私の父に対する憎しみが消えました。むしろ、その頃の私に怒りを感じています。父はとても良い父親でした。気付かせてくれて本当にありがとうございます。
人々の仏性も煩悩のちりの中に隠れ、見失われているが、善き師によって再び見出されるものである。
このように仏性はあっても、貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさのためにおおわれ、業(ごう)と報いとに縛られて、それぞれ迷いの境遇を受けるのである。しかし、仏性は実際には失われても破壊されてもおらず、迷いを取り除けば、再び見出されるものである。(大般涅槃経)
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