2004年2月13日第222号
幸福ニュース

【インド面白旅行記(2)】

 チベット教育省との「子供の絵本プロジェクト」の打ち合わせで、考え方の違いというカルチャー・ショックがありました。我々日本人は、表紙を厚く固い物にし、デザインも良くして、長持ちさせれば、安くつくと思い、その様に提案しました。

 ところが、そういうことをすると、まず食べるのが先決だし、また、インドにお世話になっているチベット民族としては贅沢ではないかと言われ、保護者からも、財務省からもクレームがつくと言うのです。なるほど、そう言われれば、世界で本が特にきれいで豪華なのが多いのは日本だなーと思いました。少しずつ、質の方も上げていこうという事で合意しましたが、所変われば品変わるというか、面白い経験をしました。

 ところが、インドの空港やレストランで見かけた机やイスなどは、頑丈で壊れそうもない物が多いです。味もそっけもありません。日本は繊細で、多用途な物が多いのですが、フランス製は、やはり、しゃれているような気がします。ドイツもやはりしっかりしていてシンプルで丈夫な傾向があります。設計思想の違いとは、面白いものです。

 内務省や教育省との打ち合わせも成功裏に終り、直行12時間で車でデリーに戻ります。さすがに疲れました。途中約5件くらいの交通事故があり、自動車が全部で10台くらい大破したり、故障したりしていました。

 こちらでは、サイドミラーはないか、あっても閉じたまま走ります。助手席や運転席の後ろに坐っていると、命がいくらあっても足りない感じが何度もしました。誰かが「インドに来るには心臓のスペアが必要だ」と言っていましたが、まさにその通りです。

 時速100キロで飛ばしながら、車間距離は30センチということが、しばしばあります。追い越し、割り込みのはでな事、何度正面衝突しそうになったことか。よく生きて帰れたと思います。夜、ヘッドライトも上げたままです。すれ違う時も決して下に向けようとはしません。私はインドでは恐くて絶対に運転できません。

 バスに優先権があるのか、反対側車線から平気で突っ込んできてUターンします。また、飛ばしますし、凄い追い越しをかけます。車体の上にも人が鈴なりで走っています。こちらで一番恐いのはバスなのです。

 途中、農村地帯では、乾季ということもあって、牛糞燃料の製造があちこちの家や畑で行われていました。インドでは樹木は非常に貴重です。そのこともあって牛糞燃料が特に農村地帯では、なくてはならないもののようです。

 インドでは、牛は荷物の運搬や農作業に使います。また、牛乳は飲んだり、バター(特にギーという水分のほとんどないバター)やチーズの製造になくてはならないものです。そして、燃料も重要ということになれば、飢饉の時に牛を殺して食べると人間も生きられなくなる。そいうところから、ヒンズー教徒は牛を神聖視して、食べなくなったのではないでしょうか。

 また、学校では、校庭にシートをしいて、そこに坐って授業を受けていました。小学校では、小さな石版に算数の計算を書いたのを先生に見てもらっていました。かわいらしいものです。建物の屋上で授業をしている高校もありました。

 それから、トイレですね。男性用の小便器が非常に高い位置についているのです。私でちょうどぐらいの高さでした。背の低い人はいったいどうするのでしょう。

 田舎で感じたことは、3年前来た時は、家路へは歩いている人がほとんどでした。ところが、今回は自転車に乗っている人が増えて多くなっていました。インド経済は少しずつですが、良くなっているようです。

 インド東北部のブッダガヤにも行きました。コーチャン・リンポーチェ師と会う用事があったためです。本来ならば、デリーからダラムサラへ行く途中のデラドン市にコーチャン・リンポーチェ師のお寺(Mindrolling Monastery)はあるのですが、この時期、ブッダガヤのマハーボーディ寺院で、ラマ教四派の大法要が行われ、その最高責任者としてブッダガヤに滞在されていたのです。3年振りの再会で話が弾みました。

 翌日の午前中に、お釈迦様が悟りを開かれたマハーボーディ寺院を参拝しました。寺院(大菩提寺)は霧の中でした。靴を預けて裸足で、境内に入ります。外国人も含む大勢の若いラマ僧が、境内で五体倒地の礼拝を繰り返していました。また、境内の外回りを五体倒地しながら巡拝している僧侶もいました。

 このお寺は、最初アショカ王が紀元前3世紀に建てられ、その後13世紀にイスラム軍により破壊されました。現在のお寺は、19世紀末に復旧されたもので、高さ53メートルの大塔(本堂)が中心に建っています。本堂裏手の菩提樹(現在は4代目)の下でお釈迦様が悟りを開かれた場所として有名です。

 紀元前3世紀にアショカ王が建てた柱や門や仏足石があり、歴史を感じさせます。私も、釈尊が悟りを開かれた、はるかなる昔を思い、仏教の僧侶として、感無量でした。本堂の中や菩提樹のところで世界各国からの参拝者が熱心に祈りを捧げていました。我々も、般若心経を唱え、短いお参りをさせていただきました。

 お土産売りのしつこさには辟易しました。お寺の入り口前3百メートルあたりから、寄って来始めます。最終的には10人位が私と一緒に移動していました。こんなにもてたのは生れてはじめてでした。境内の参拝が終わった後も、門の前で待ち構えています。結局、買わされてしまいました。買わないと放してくれないのです。

 ブッダガヤへは、デリーから飛行機で1時間半くらいのパツナまで飛び、そこから、車で約3時間半の距離です。穴ぼこの多い道を猛スピードで飛ばすので、着いた時には、ぐったりです。現在、ブッダガヤ近くにある軍用飛行場の拡張整備計画もあるそうで、完成したら、アジア各国からの参拝者が増えることでしょう。皆様も機会があったら、是非訪れてみてください。

 南のナグプール市の安宿では、蚊とネズミに悩まされ、夜中に何度も目が覚めました。皆さん、インド旅行には、冬でも蚊取り線香が必需品なのをお忘れなく! 

 北のダラムサラでは、夜寒くて、風邪をひきました。私がトイレに行っている時に説明があったらしいのですが、羽毛布団があるということを知らなかったのです。夜中に寒いなーと思い、重ね着したり、となりの空いたベッドの毛布もかぶったりしたのですが、翌朝は、のどが腫れ、熱がありました。日本に帰ってから、やっと治りました。

 空港では、乾電池だけ持っていると、時限爆弾の材料ではないかと没収されます。バッグを全部ひっくり返され、徹底的に検査された人もいました。空港や主要な駅などは、通常の警察ではなく、インド情報省の部隊が直接警備しています。去年、デリーの国会議事堂が襲撃され、首相の執務室まで10メートルまでせまったという事もあって、テロに対する警戒が強く、安全チェックの厳しさは日本以上でした。

 それでもインド中、ブーゲンビリヤの真っ赤な花があちこちで咲きほこっていました。日本と違って、大木になっているのもあります。それにもましてインドでは、人々は貧しいながらも、皆たくましく生きていました。「ごった煮」と形容すればいいのでしょうか、色々な人種やものが混ざり合う文化、そして、一種独特のインド人のそこしれぬエネルギーを感じた十日間の旅でした。(終)

【坂村真民詩集】

《 たくましい魂 》

今でも はだしであるき

今でも はだかでくらし

今でも 牛の糞(ふん)で煮たきをし

今でも 一丁の文字さえ知らず

今でも 木や石に合掌する

貧しい

アジアの民

だが

彼等の魂は

たくましい

【仏語集】

(1)清らかな心を守って雑事の多いのを願わず、(2)欲なきを守って貪(むさぼ)らず、(3)忍辱(にんにく)を守って争わず、(4)沈黙を守って言わず、(5)教えを守っておごらず、(6)一つの教えを守って他の教えに従わず、(7)倹約を守って衣食に質素であること。この七つを守れば教団は衰えない。(長阿含経、遊行経)

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バックナンバー

第221号 父との和解

第219号 主婦の内観

第217号 摂食障害

第215号 お母さんの内観

第213号 これで完璧、目標達成

第220号 インド面白旅行記(1)

第218号 幸福さんクラブ

第216号 商売魂

第214号 15才少女の内観

第212号 心の休ませ方

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