今回は、生きることに疲れた人々や、うつ病者とその家族の方々への福音書とも言える本を紹介させていただきます。加藤諦三先生の書かれた『心の休ませ方』(PHP研究所刊)という本です。健康な人や、会社でこのような部下を抱えた管理職の方々にも参考になる本です。
(A)うつ病者の特徴と病気の原因
うつ病者は「誰も私のことを分かってくれない」という。うつ病者は生命力が落ちている。だから、風邪になっても、普通の人よりも辛い。そこで風邪になってしまったことを嘆く。その嘆きはなかなか周囲の人には理解できない。うつ病者はその辛さを受け止めてくれることを周囲に求めている。うつ病者はまず何よりも、一緒に嘆いて、「このつらい気持ちをくみとってほしい」のである。事態の改善はその後でよい。
人が文句を言うのは愛を求めているからである。「私は辛い!」「私は不幸だ!」は、「私を愛して!」という意味である。「私を愛してくれないあなたが憎らしい」という意味である。「私は不幸」ということは、「私をもっと愛してくれ」という愛の叫びなのである。
「私は苦しい」と訴えることで、心の底にある憎しみを晴らしている。うつ病者は自分が不幸せの中にいることで心の傷が癒されている。人を動かすもっとも大きなものは「憎しみ」である。
生きることに疲れたあなたは今まで頑張りすぎた。頑張りすぎなければ生きる事に疲れることはない。生きることに疲れたあなたは、自分を殺して生きてきた。社会への過剰適応なのである。そのストレスがあなたの生きるエネルギーを奪った。あなたの脳を変えた。
軽蔑されることも、嫌われることも、仲間から追放されることも怖かった。だから、来る日も来る日も「したくないこと」をし続けるうちに、ストレスから脳がダメージを受けても何の不思議もない。
愛されたくて頑張って、無理をして、そして消耗した。アルコール中毒の人がいつもアルコールを飲んでいなければいられないように、彼らはいつも自分の惨めさを誇示していなければ生きていられない、「みじめ中毒」になっている。
抑うつ感情とは「表現されない憎しみ」。気分のいい場所にいても気分が晴れない。はけ口を失った憎しみは行動力を奪う。生きることが楽しくなるためには、憎しみをとらなければならない。体の怪我は見えるが、脳の怪我は見えない。愛を求めているがゆえに閉じこもったのである。愛を求めているがゆえに憎んだのである。周囲から心理的に拒否されてきた。疎外感がある。うつ病者は憎しみに身を焦がしている。
感情表現がうまくできない。自分がないから人に振り回される。要するに、自分がなくなってしまったということである。自分の中の統合性が失われ、自分でも自分がわからなくなり、自分を感じられなくなっている。憂うつになってじっと座っていることが、ただひとつの感情表現である。憂うつは愛を求めている叫びであるが、同時に表現されない憎しみの感情でもある。憂うつになっている人は愛を求めているのである。「苦しいのね」「辛いのね」とやさしく言ってくれる人を求めているのである。
もの悲しい、全てがダメ、打ちのめされたというような感情も特徴。相手への愛着と怒りが同時に発生している。うつ病者は「さっぱりしない。心が晴れ晴れしない」とも言う。それは幼児的願望があるから。つまり、相手に甘えたいから、それを満たそうとして、相手に絡みつく、しがみつく、まとわりつく、すねるのである。
生きることに疲れた人が望んでいるのは、大人として愛されることではなく、幼児のように愛されることなのである。「今のこのままで救ってくれ」というのが、生きることに疲れた人の叫びである。「誰も私を理解してくれない」というのが、生きることに疲れた人の気持ちである。
立ち上がれないのは、目的がなく、心が空虚だから。外側がどんなきらびやかであっても、うつ病者を表すのは、「空虚と憎悪」である。
うつ病者は自分の心の葛藤で精一杯であるから、他人に思いやりをもてない。うつ病者は罪責感に苦しむ。
苦しみを訴えるだけで解決を考えない。苦しみを訴えることで、注目と同情を求めている。これは愛情欲求であり、同時に愛情確認行為である。被害者意識にたってものを言う人は解決を考えていない。彼らは愛を求めているのである。自分を認めてくれ、愛してくれ、分かってくれと叫んでいるのである。
うつ病者は心に手錠がかかっている。心にかけられた手錠は目に見えない。ただただ甘えて生きていきたい。もう、自分を偽って生きていけなくなったのが、「私は出来ません」という反応である。生きる事に疲れた人は自分から行動を起こせない。「誰かおれをなんとかしてくれ」と叫んでいるのである。
(B)注意点
励ましは逆効果で、うつ病者をもっと憂うつにしてしまう。大切なのは、その人の無念の気持ち、悔しさ、憎しみの感情を汲み取ってあげるということなのだ。ただ、聞く、そして共感してあげるだけで癒されるのである。そして、例えば不登校であれば、学校に行かないことによってその子が何を表現しているのか、ということを考えることが重要である。
「元気を出せ」は生きる気力を奪う言葉である。気を張って生きることにあなたは疲れ果ててしまった。もう消耗しつくしている。生きるエネルギーはすでに枯渇しているのである。そこにさらに周囲の人から「元気だせよ」などと言われたら、いよいよ生きる気力がなくなってしまう。
生命力の低下した人には、生命力の高揚した人の生活様式や価値観や言動はきついのである。だから、生命力の豊かな人の善意の言動が、いよいよ生命力の低下した人を追い込んでしまう。
(C)解決法
生きる事に疲れた人はとにかく休むことである。周囲の人に迷惑をかけても、とにかく休もう。自分の心も体も休ませてあげる。今は「自分にやさしく、無理をしないことである。もう周囲の人から好かれる必要はない。今は静かに休むことである。」生きることに疲れたあなたは、今頑張ることで物事を解決しようとしてはいけない。休むことで解決しようとすることである。休むことも生きることである。
生きる事に疲れた時は、まさに、あなたの生き方を変える時である。生きることに疲れた時は、幸福へのターニング・ポイントである。休んで次の幸せの時代の準備をしよう。きっと春が来る。それまで休む。
「苦痛こそ『あらゆる大きな幸福への門』である」と述べている。今の疲れはあなたのこれからの人生にとって無駄ではない。今のこの生きる事に疲れた状態は、自分の人生の中で必要なトラブルと思えばいい。そして、「何故このトラブルが起きたのか、自分の生き方の何処に間違いがあったのか」と考え、このトラブルから学ぶことである。
生きる事に疲れた原因を考えてみる。具体的な困難で疲れたのか。本性を否定された生活を続けてきたから疲れたのか。現実を受け入れられないから頑張り過ぎて疲れたのか。目標がなくて振り回されて疲れたのか。
惨めな人間関係の牢獄から逃れよう。生きる事に疲れたあなたは、いま人間関係を整理する時なのである。生きることに疲れて休むあなたにイライラする人と縁を切る時期なのである。
生きることに疲れた時に、初めて誰を大切にして生きていったらいいかが分かる。うつ病者は、あまりにも真面目に合理的に生きてきすぎた。そうしたことを価値があると思いすぎた。だから、エネルギーがなくなってしまったのである。人間の生きるエネルギーの源は非合理的な感情の中にある。うつ病になった人はその価値を無視しすぎたのである。
役職や仕事の多すぎる人は、それらを捨てたり、減らしたりしなさい。自分の限界や現実を受け入れる強さと勇気をもちなさい。
今は人の期待に応えないで休む時である。ただ、景色を見ていればいい。自分の心に響く音楽や本を見つけるのもいい。
うつ病者は自己執着が強いから、なかなか捨てられない。そして、未来を信じられない。「人にこうしてほしい」という願望を捨てれば、幸運が来る。
自分に3つの質問をする。 1.明日死ぬとしたら、今自分は何をするか。 2.この人たちと、どういう人間関係で終わるのか。 3.自分は今まで何をしてきたのだろう。
自分の感じ方を受け入れる。生きるエネルギーを回復すれば世界は違って見える。状況を受け入れる。失敗するのは、事実を拒み、事実を事実として認めようとしないからです。それを認めれば、それらを正す方法も見つかり、問題は解決する。
うつ病者に必要な人は、「頑張れば、立ち直れる」という人ではない。「もう無理するな。休め。たまには遊べ。よく食べろ。そしてよく眠れ」と言ってくれる人である。
自分を抑えすぎるから、生きることに疲れる。自分に誠実に生きることである。うつ病者に今大切なのは、「自分を出すこと」である。うつ病者の時間は止まっている。過去にこだわるから、今動けない。人の心理的成長を止めるのは憎しみである。心の底にたまった恨みを吐き出せ。
癒される相手を探すことである。辛かった身の上話を聞いてくれる人を探す。あなたを励まそうとする人よりも「あなたはそれほど苦労したのね!」と聞いてくれる人である。
自分の失敗をありのままに話す。それを話せる人を探すことである。もし見つからなければ、日記でも何でもいい、安全なところに吐き出すことである。人に認めてもらうために無理したことを素直に話すことである。大切なのは、自分の今までの生き様を信じることである。失敗したことは恥ではない。それを肥やしにして幸せを手に入れるのである。「私はこう生きてきた」、それでいいのである。
あるいは、一時の気を紛らわすことであれば、数珠をいじっているのでもいい。
手に入らないものを追いかけない。自分の失った人生への未練で一生を終わる人は多い。送ろうと思えば、目の前に素晴らしい人生があるのに。
心を今に置く。心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえずになる。心の底に憎しみがあると、過去に引きずられてしまう。今の空気のにおいや花や木々の緑を味わおう。
心の中に自分の城をつくれ。変化する地位とかでなく、自分が楽しんですることを持ちなさい。
心の歴史を書いてみる。心の中をありのままに書く。人に見せるものではない。あなたが、「あー、この人生は自分のものなのだ」と気がつくまで書くことである。もし、心の底にうっ積した感情を吐き出せれば、時と共に生きるエネルギーは戻ってくる。
自分のためだけの一日を実行する。幸せになる第一歩は自覚である。現実を認めることである。まず自覚が先である。あなたの心の疲れは昨日おきた出来事が原因ではない。毎日の「自らを欺いた生活」の結果である。だから、せめて今日は、自分のためだけの一日を実行してみよう。
うつ病者は、相手の言葉に「責め」を感じてしまう。生きる事に疲れた人は、何事も気楽に受けとめて生きては来られなかったのである。何故相手の言葉を真剣に受け止めすぎて、傷つく必要のない言葉で傷つくのか。生きることに疲れた人は生真面目だから、相手の言う事を真剣すぎるくらい真剣に受け取ってしまう。もう少し気楽に、相手の言う事に対処してよいのではないか。
生きる事に疲れた人は長い年月の結果として生きることに疲れたのである。だから、長い年月をかけて元気になることを考えることである。今は違う道があることに気づくチャンス。いつか「あの過去があったから、今の幸せがある」と思うときが来る。
わたしをののしった、わたしを笑った、わたしを打ったと思うものには、怨みは鎮(しず)まることがない。怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。
この心を貪(むさぼ)りから守り、瞋(いか)りから守り、あらゆる悪事から守る人に、まことの安らかさが得られる。(法句経)
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