私が集中内観をしてみようと思った理由は、摂食障害にも効果がみられると聞き、治療の一つになればと思い、参加を決めました。
初めは、母に対する自分を調べてみました。小学校の低学年と高学年、中・高・大学生の頃にかけて行いましたが、なかなか思い出すことができませんでした。特にして返したことは難しく思いました。
3日目になっても、私は内観に集中できていない自分の状態にくやしくて悩み、ますます内観できずにいて辛かったです。
しかし、先生が「人はいつ何があるかわからない。交通事故で死んでしまうかもしれない。今日が最後の日だと思って自分を調べてください。」とおっしゃってくださったことで、その日の夜からじょじょに内観に集中していくことができました。
母は私に対してたくさんの愛情を注いでくれました。特に教育面では、かなり力を入れてくれていました。しかし、私は今まで、母の勝手でしていることで、私の意見も何も聞いてなくて、母のみえで私達にこんなにも勉強を押し付けているとばかり思っていました。
私は母の気持ちを全く考えていませんでした。母は一生懸命に私を育ててくれているということに気がつきませんでした。今考えると、一つ一つがすごく愛情がこもっていて、全てが私の
私は摂食障害のことを本で読んだ時に、「母親に原因がある場合がある」と書かれていて、それを自分の場合にもどうにか当てはめて、母を原因にしてしまえば楽になると、いつの間にか思ってしまい、母に辛く当たり、責めるような態度になっていました。
母は一生懸命に育ててくれていたのに、私は本当に人間として最低なことをしてしまっていました。しかも、私が病気であることを母は苦しんでいない、とも思っていました。しかし、先生が、「親はどんな親でも、子供が病気でいる姿をみるのは辛いもの」とおっしゃってくださった時、私はなんて思いやりのない、自分のことしか考えていないわがままな人間なんだろうと思い、涙がでてきました。
母は、私の病気のことを受け止める事ができないと、私に言ったことがありました。今までは、なんてひどい母親なんだろう、病気になると見捨てるなんて、と思っていました。
でも、母はきっと母自身を責めてしまって、どうしようもない気持ちだったのだと思います。たくさんの愛情を、私が生れてからずっと注いでくれていた。それなのに私が摂食障害になって苦しんでいることを、母自身のせいだと思ってしまったのだと思います。
病気になってからも、母は私を育て、深い愛を与えてくれていて、十分に私のことを受けとめてくれています。私はそういうことに内観をしてからしか気付けませんでした。
父や姉に対しても、私は思いやりを持って接していなかったことにも気づきました。当たり前のように甘え、それに対しては何の感謝も示していませんでした。
私は今日家に帰り、まず、母・父・姉に謝りたいと思います。特に母に対しては、大変傷つけてしまったこと、病気は母のせいではないことをきちんと伝え、安心してもらいたいと思います。そして「ありがとう」と一言、言いたいです。
また、3日目まで、食事をすることがとても恐かったです。でも、4日目には不思議と体が慣れていました。5日目からは心からおいしいと思い、不安感を本当に感じませんでした。食べ物に執着していない自分がいて、そのことに気付いたのも、ふとした瞬間に思ったので、「あ、食べ物のことを考えていない」というふうに、気持ちが軽くなっていました。とてもおいしく食べさせて頂きました。本当にありがとうございます。
面接をしてくださった先生方、お食事やお風呂やお飲物を出してくださった方、内観をさせてくださった両親や姉、お寺の方々、一週間本当にありがとうございました。私にとって大切な一週間になりました。これからも今の気持ちを大切にして、また、この経験を生かしていきたいと思います。
煩悩から逃れるには、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現れることを正しく知るのである。 見方を誤るから、我という考えや、原因・結果の法則を無視する考えが起こり、この間違った考えにとらわれて煩悩を起こし、迷い苦しむようになる。(一切漏経)
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