今回、蓮華院で内観を知ったのは、インターネットのホームページでした。内観というのを知ったのは2年前のことで、本などを読んではいたのですが、知識が浅かったこともありますが、正直な所、短期間でそれまでの自分の思いや気持ちが変えられるものなのか?と疑問を感じておりました。内観のホームページを見ると何ヶ所かあったのですが、どうしても蓮華院のページが気になり、申込みに至りました。
ここ最近の私は、これまでの人生の中で、一番苦しいと思える状況が続いておりました。15年前に発病した摂食障害が続き、心身ともに行き詰まった頃、半年前より姑と半同居が決まり、不安定な心の状態になり、病気は激しくなる一方で、それまで、ずっと続けていた仕事へも行けなくなりました。
実家へ戻ると、幼い頃から父との関係にも問題があったせいか居りにくく、居場所をなくした心境になり、ただ家族を責めて、自分の体を痛めつける日々でした。
母へは、甘やかせ過ぎるから、子離れ出来ないから、こんな私になったのだと。父には、幼い頃から一度もほめてくれることがなく、話す時といえば、怒るか、けなすばかりで、自信をなくしてしまったのだと。こちらへ来る前まで、ずっとこのような事を考えていました。
母を何度も泣かせて、これまで泣いた事のない父まで、「なぜ、お父さんが悪いのか?」と、泣きながら私にいいました。その時、私は必死で言い返そうとしたのですが、何も言えなかったのです。
体力もかなり落ちているし、頭の中も混乱した後で、内観へ行ってしっかりと療法できるだろうかと心配になりましたが、不思議と当日になると、運転は無理かと心配していたのですが、すんなりと来る事が出来ました。来るようになっていたのかと、内心思いました。
内観で調べたいと思ったのは、やはり父と母でした。昔の事はすぐに忘れるというのが特徴でもある私は、とても難しい事だと思っていたのですが、意外と少しずつ思い出す事が出来ました。
一番気になっていた父から激しく怒られる事、いつも優秀で頑張らないと無視される恐さ、見捨てられる恐怖について気づいた事は、幼い頃から姉妹の中でも特に私が怒られるような事を常にしていたという事。父はしつけとして、私の将来の事を考えた上で真剣に正そうとした結果でした。そして、いつも優秀でいないといけないのではなくて、良い成績をとった事で素直に喜んでくれた事、もしダメでも頑張りさえすれば良かったのだと気付きました。そう思っていたのは、私の気持ちの偏見・こだわりだったようです。
母に対していつも離れられずにいたのは私で、そのような状況を私が常に作っていたのだと気付きました。そしてこの悪循環を母のせいにして、どこかで母の事を怒っていたのだと思います。
主人に対しては、こちらは来る直前まで別れると決意していたのですが、内観することによって、これまで数え切れない程のお世話になった事と、心配かけた事に気付き、いつも不満ばかり見付けていた自分に気付きました。
義母に対しても先入観がかなり強く、内観する気持ちになりませんでしたが、やはり気付かされるのは、お世話になった事の多さです。
これから、私は今まで避けていた持病としっかり向きあい、周りの方々の恩を感じながら、焦らずに行こうと思っております。
内観を続けていく事が、これからの私には必要だと実感しております。面接して頂いた事で、実行していこうと思った事、胸に響くお話などが多々あり、本当に感謝しております。
そして、ひさし振りにおいしく味わいながら三食をいただく事が出来ました。本当にありがとうございました。(終)
この方からは、Eメールで、「おはようございます。内観から戻り、信じられない程今幸せです。毎日、毎食が楽しいです。これまで味わった事のない感覚でいます。家族も喜んでくれています。」との連絡がありました。私達、面接者にとっても嬉しいお便りでした。合掌
仏の衣を着るとは、柔和であって忍ぶ心を持つことである。仏の座に坐るとは、すべてのものを空と見て、執着を持たないことである。仏の室に入るとは、すべての人に対して、大慈悲の心を抱くことである。(法華経)
*あなたも メールマガジン「幸福ニュース」を購読しませんか。費用は、無料です。 下記に登録するだけで、E-MAILで毎月3回自動配信されます。 メールマガジン登録 メールマガジン解除
|
|