私は先月の5月23日から30日までの一週間、内観研修に行かせていただきました。
正直に言いますと内観に行く前というのは、行くのがいやで仕方がありませんでした。内観が一週間あるというのは知っていましたが、具体的に何をするのか全く解らなかったのと、私が一週間、この内観研修に耐えることができるのかという不安な部分があったからです。
実際に行ってみると、三度の食事付きで朝5時から夜9時まで私が今までお世話になった方に対して自分がどうであったかを調べるものでした。第一印象としては、こんな事をしてどうなるのだろう、これで研修になるのだろうかという疑いの念がありました。
最初に母に対する自分について調べました。してもらった事、迷惑をかけた事は限りなく思い出せるのに、して返した事が全くない、思い出してもよく考えてみると、してもらった事になるという結果でした。何度も思い返しましたが、母にしてもらった事と比べると比較にならないのです。
今まで母に対して自分がどうであったかという事など、ろくに思い返した事もなく、親が子を育てるという事が当然と考えておりました。もし母が私を育てる事を拒否していたら、今の私は存在して居なかったという事に気づきました。母にしていただいた事を同様に他の人がしてくれるとは考えられません。
今、私のわがままや自分中心の考えで行動や表現してきた事に対して、それに答えてくださり、それ以上の愛情を持って接してくださった母に、感謝という一言では言い表せない思いでいっぱいになりました。
次に私が成人する迄の間の養育費を調べました。私一人が成人するまでにこんなにもお金がかかっていたのかと愕然としました。私一人で約1300万円、兄弟8人全員の養育費を調べると一億円を超えました。私の両親が、汗水たらして働き、愛情と時間をかけて、私や兄妹を育て上げてくれた事に対して、お返しした事が、全くないという自分に気づき、恥ずかしくなり、情けなくなりました。
次に父に対する自分を調べました。父が小さい頃から家にほとんどいなかったものですから、あまりお世話になっていないと思っていました。しかし、そうではなく、私たちのために一生懸命働いてくれていたのだと気づきました。また、私が人生の岐路にたった時の、相談相手でもありました。
次に嘘と盗みについて調べました。私が小さい頃から自己中心的な考えで、身内にもお世話になった方にも、簡単にたくさんの嘘をつき、人の心を傷つけてきたかという事がはっきりとわかりました。
最後に妻についての自分を調べました。私の妻は働いております。しかし、普段の生活の中で家事や育児をすべて彼女に押し付けておりました。妻が忙しく台所や部屋を動き回っているのにも関わらず、全く手伝おうとせず、私がしたい事をやっておりました。それでも妻は文句一つ言わずやってくれていました。
現在の彼女の一日を考えてみると、起きている間中、家事・育児・さらには仕事までやってくれております。休む時間や自分の時間というのはほとんどなかったと思います。本当に自己中心的な行動で妻の事を、考えようとしていなかった私がいました。
私は内観させていただくまでは誰にも迷惑を余りかけず、普通に生きてきたと考えておりました。なるべく楽をして簡単に生きてきたと思います。しかし、その考えが間違っていた事に今回気づかせて頂きました。
私という人間がたくさんの方に御世話してもらって、迷惑をかけて生きてきたのに、して返した事がないという事。それは私が常に自分の都合のいいように物事を考え、自分の主張ばかりを言い、他人の事を考えず行動してきた結果だという事。その恩を忘れ、生きてきたという事。この事は変えられない事実であり、私の人生の歴史でもあります。
この内観を終えた今、はっきり見えてきたことがあります。育てて頂いた両親やお世話になった方々にこれからどのような形で恩返しをしていくか、という事です。内観研修所の先生が、「人は自分中心で物事を考えるものです。しかし、他の人も自分と同じ位自分中心に物事を考えます。ですから、どれだけ相手の立場になって物事を考える事ができるかが大切です。」とおっしゃいました。
まさにその通りだと思います。私には、内観というものが最後にどのような形になるのか、わかりませんでした。ただ、自分がこれだけ多くの方に迷惑をかけて生きてきたのに、何もしなかったら両親やお世話になった方々に申し訳ない、という事を理解させて頂きました。この内観を体験していなかったら、私はこの様な考え方をもつ事は一生なかったと思います。
私は、ここに勤めさせて頂いたお蔭で、この内観というものに出会わせて頂きました。今後、恩返しさせて頂くつもりで、私が何をしなければならないのか、何を求められているのかを考え、それをしっかりと行動に移し努力・精進してまいります。本当にありがとうございました。(終)
施しても施したという思いを起こさず、ことをなしてもなしたという思いを起こさない。ただそれが賢いことであり、正しいことだからするのである。それは母親が一枚の着物を愛する我が子に与えても、与えたという心を起こさず、病む子を看護しても、看護したという思いを起こさないのと同じである。(大般涅槃経)
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