今回は、波乱の人生を歩まれた主婦の方の内観体験をお送りします。ご主人といろいろありながらも、必死になって人生を歩んで来られた方の感想文です。かなり深いものがありました。
内観という言葉は以前から耳にはしておりましたが、自分には関係ない、特定の部門の人だけが行くところだと思っておりました。今回その部門に移動になり、上司から内観を強く勧められました。
私としましては、この部門に移動になったのも何かの因縁だろうと思う反面、内観を受けた職員を見て、何が変わったのだろうと思う気持ちもありました。けれども、仕事をするうえでやはり経験した方がいいであろうと、単純な気持ちで参加させて頂きました。
初日にまず感じた事は、1週間続けることができるだろうかと言う事でした。誰とも話せず、ただ面会の先生に調べた事を聞いて頂く、風呂も20分、すべて一人でびょうぶの中で考える。刑務所に入るってこういうことなのかな、とも考えました。
一日目、何も頭に浮かびません。ただ、恨みつらみのような事ばかり、ただ時計を見るばかり、やがて坐っているのが苦痛となり、そのうち頭痛までしてきました。三度の食事さえ苦痛に思える有様でした。2日目も同じこと、3日目もそうでした。
職場の方たちは3日目には楽になるよと言って下さいましたが、私には当てはまりませんでした。何で私はここに来たのだろう、どうして私はここにいるのだろうと、何度も思いました。
4日目の後半位から、母の2度目の調べをさせて頂く時に、ふと感謝していない自分を発見しました。こんなに人に支えられ、助けられながら生かせて頂いている事を気付かせて頂きました。その頃から少しずつ楽になってまいりました。坐っている事がさほど苦痛でなくなってきました。
5日目の、主人について調べていく頃、これもまた、ふっとお蔭様なのだ、この言葉がすべてに通じるという事に気付かせて頂きました.
昨日夕方のお参りの後、先生が皆さんはどうして生きているのですか、生まれて来れなかった子供もいらっしゃるのですよ等、少しお話をされました。その言葉を伺った時に、とても胸が熱くなる思いが致しました。
私は、何の為に生きているのか、自殺を考えてもおかしくない状況の中で、皆に助けて頂いて、今こうして元気で働かせて頂いている。私は皆に生かさせて頂いているのだという事に、初めて気付かさせて頂きました。
内観と言う事は本当に修業だと思います。自分自身との戦いだと思います。最初の頃は何も見えず、紹介して下さった上司さえ恨みました。今はとても感謝致しております。帰ったら早速報告をし、感謝申し上げたいと思います。
私は、この内観を経験しないで過ごしていたなら、とんでもない人生を送ったかも知れません。人を人とも思わぬ横着な態度、人の気持ちも考えず、自己中心的な性格、今こうして内観を経験させて頂いた時、今感じている心を忘れず、継続していく事が、私にとっての人生の修業だと思っております。日々の生活に追われて忘れがちにならない様、できれば毎日日記をつけるよう、頑張りたいと思います。
何十年と忘れていた心、想い等いろいろな事を気付かせて頂き、ご指導して下さった先生方を始め、食事のお世話して下さった方々、皆々様に本当に心よりお礼申し上げます。有難うございました。今の気持ちを忘れないよう日々活かさせて頂きます。帰りましたら、この貴重な経験を家族にも話すつもりです。有難うございました。合掌
ここに道を求める者の修めなければならない、慈と悲と喜と捨の四つの大きな心(四無量心)がある。
慈を修めると貪(むさぼ)りの心を断ち、悲を修めると瞋(いか)りの心を断ち、喜は苦しみを絶ち、捨は恩と恨みのいずれに対しても差別を見ないようになる。(金光明経)
*あなたも メールマガジン「幸福ニュース」を購読しませんか。費用は、無料です。 下記に登録するだけで、E-MAILで毎月3回自動配信されます。 メールマガジン登録 メールマガジン解除
|
|