集中内観を体験して最初に感じたのは、部屋は十二畳程あるのに対して、内観する空間は約半畳。屏風に囲まれ、ただひたすら生まれてから現在まで、誰かに対して、していただいた事、して返した事、迷惑かけた事を考え思い出す、というやり方で、本当に自分の悪い所、良い所、反省、目標が出来るのか、と思うのが最初の印象だった。
もともとこちらに伺ったのが、母の勧めで、私の浪費癖や他人に対する心を改心させたいという親心があって、私も伺いました。
初日にまず考えたのは、母に対してでした。生まれた頃から母に甘えていた自分をどんどんと思い出しながら、小学校までは、比較的普通の小学生だったと思います。
しかし、中学校へ入学してからは、タバコ、シンナー、無免許運転、校内暴力等々、目に余りすぎな、本当に無謀な行為をしてきました。
その当時は「はやりだったし、目立ちたかった」という気持ちだった。最近までは、若気のいたりだったと軽い気持ちで考えていました。しかし、内観していて少しその当時の見方が変わりました。
そこまでして何か目的があったのかとか、母だけじゃなく、どれだけの人に迷惑かけたのかとか、その行為をして反省し、何かお返しをしただろうかとか、いろいろひとつの自分の行動の上で考えなければいけないと思いました。
思えば、母に対しては甘えられる。父に対しては怖い、嫌い、憎いとそれ以上の事は発見できなかった自分に深く反省したいという気持ちが自発的にでてきました。
高校時代は、中学時代が悪すぎたので、比較的普通の高校生だったと思います。しかし、友達のバイクに乗って事故をしてしまった時は、大勢の人に心配をさせてしまいました。高校までを無事卒業できたのも、両親や多数の人々によって獲得したものだと考えるようになりました。
社会人になって20才から23才まで大阪へ修業に行き、3年間本当に頑張った自分でありました。これは、いい親孝行ができたと思いましたが、実は自分のためだったと気付きました。それを達成させたいという親心だったというのが、内観でわかりました。
28才の時結婚をし、30才で父親になり、少しずつ両親に対しての気持ちや思いやり、行動に移す時の周囲の人への気配りはできたと思っていたのですが、別の方向へ行く自分が出てきました。
一人で悩み一人で解決して誰にも迷惑かけまいと思いだしたのが、30才から今まででした。それが結果的に悪い方向へばかりいったと思います。
内観して発見したのは、一人でできる事はわずかな事で、ほとんどが自己満足で終わっている。そうする事よりも、周りの方々といろいろ懇談し、理解しあい、自信ができた時に決断するというのが最良と思います。
自分には、両親、妻、子供、兄弟、親戚、友人、その他大勢の方々が応援してくださっている。こんな恵まれた中で不満だけを貯めている自分がわかってきたのもいい経験でした。
お寺の先生方が面接に来られるたびに、自分の気持ちが軽くなっていき、目標もひとつひとつ増えていったのも本当です。
今からの目標は、まず父母に対して自分の気持ちを真正面からぶつけ、答がでるまで一緒に考えます。そして、妻や子供に対しては、今まで自分本位に生きてきたことを反省し、家族単位で分かち合い、譲り合い、思い合い、幸福を得るよう努力致します。
そして、私にかかわる方々に対しても、少しでも幸福を互いに感じ合えるよう、かつ人生そのものの大きさ、人間とは何かを死ぬまで勉強していきたいです。一週間誠にありがとうございました。(終)
懺悔の心が起これば、もはや罪は罪でなくなるが、懺悔の心がないならば、罪は永久に罪として、その人をとがめる。(大般涅槃経)
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