始めに今回私が内観するにあたり、お世話していただいた皆様 に感謝いたします。ありがとうございました。
私が内観に来ようと思ったきっかけは、寺門啄巳さんの本を読 んだ事です。本の中で内観のすばらしさは書いてあるのですが、 やり方等方法は全然わかりませんでした。やってみたいなあと心 の中にはありましたが、時間もお金もないなと思っていました。
それが38才を過ぎる頃、息子が浪人することになり、義父を がんで亡くし、その後母が認知症を患い、介護のかいもなく亡く なり、主人が自営する店を閉店する事になりました。
めまぐるしく変わる現実にとまどいながらも、毎日の生活に追 われていました。そしてこの春、母の一周期も済ませ、3人目の 子供が大学へ入学し、お金はかかるが悩みは少なくなるなあと少 しホッとしていました。
そんな時、16年間勤めたお店が閉店するという事で、仕事を 失う事もでしたが、毎日会って、子育ての悩み、介護の悩みなど、 いろんな相談にのってもらっていた仲間を失うのが一番のショッ クでした。これからどうしよう、誰に相談すれば・・・・と眠れ ない日々が続きました。
そんな時カウンセラーの先生との出会いがあり、「あなたは 『お母さん』の事を消化できていないよ。次へ進めないから、誰 かに話した方がいいよ。」と言われ、そういえば、前から気にな っていた内観に行ってみようと思い、インターネットでこのお寺 に申し込みました。
自分でも何故お寺を選んだのかわかりませんでしたが、ここへ 来て、母の供養を怠っていた事を思い、朝夕のお参りはとても心 穏やかにさせて頂きました。また、駆けつける事のできなかった 伯父の供養もここでできて、とてもありがたい事でした。
また、朝の鐘つきの時には、どうしても13回つきたく、人よ り早く行き、つかせて頂いていましたが、内観がすすむと、とて も恥ずかしい気持ち、あさましい気持ちにみえてきました。恥ず かしい事です。
内観が始まってしばらくは、眠たさとの戦いでした。いつのま にか眠ってしまって、びっくりする事もたびたびでした。これは 最後まで続きました。それと何が何だかわからず、このまま最後までいったらどうし よう、内観を早く理解しなければと必死でした。
隣の方の面接はなんとなく聞こえてくるし、私の話し方を聞か れたら嫌だな恥ずかしいなあと思ったり、家では今頃とか、内観 してても頭にうかんだ久しぶりの人や思い出に浸ったり、雑念ば かりが浮かんでどうしようもありませんでした。面接の方が見え るたびに、面接の方に答えるための言葉を一生懸命捜していまし た。
3日目か4日目、私は何の為にここまで来たんだろうと思い、 面接の方も別にカウンセラーではないのだと何となく思い当たり、 相手の年令、回りの人や状況を思い浮かべていくと、あんなだっ たなあ、こんなだったなあと思い出されてきました。
それにともなって思い込み、勘違い、思いすぎ、いろいろと出 てきました。今まで人ばかり頼って問題と一人で向き合って来な かったから、こんなに自分勝手に思い込んでたんだなあという場 面がいくつも浮かんできました。
そんな頃から、面接の方にお話をするのは、その時に集中する 為と一段落する為だけと考えればいいとわかり、自分で気付くの が内観なのだと思えるようになりました。
母の介護をさせてもらっている頃を何度も思い起こすのは、と てもとてもつらく、一度目はお話しする事もできませんでした。 お世話になった事は思い浮かばず、して返した事ばかりを思い、 母の死のさみしさだけで涙していました。
しかし、2度目の内観では、ただただお世話になった事だけで、 自分が如何に情けない介護をしても、それを母は受け容れてくれ ていた事がわかり、して返した事は何一つ見つかりませんでした。
この自分がしでかした罪に面と向かう事ができず、さけていた 自分と対面してとてもつらかったです。しかし、とりかえしはつ きません。どうしたらいいだろうかと思い、「供養していけばい いですよ」と言っていただき、救われる思いでした。
また、これだけは許せないと思っていた、主人が私の母のお金 を使用していた事についても、「それは誰のお金ですか?お母さ んのですよね。」と言われ、その時は「だからこそ許せないんで す」と言いました。
けれども、二度目の時は、「そうよ。何も私がどうこうしたお 金ではなく、母が貯めていたお金であって、私のではなかった。 あんなに私の母に良くしてくれた。たとえ、それがお金を使って やましい気持ちからでも、主人があんなにしてくれたり、私のす る介護を支えてくれなければ、家族5人で見守るなか、息を引き 取るという幸福な最後を迎える事も、母はできなかったのだ。こ れは、決してお金で買いたくても買えなかったんだ。ああお金が あれば子供達の学費がとか、生活が楽なのにと欲を出すから、そ んな思いが出てくるのだ」と、つくづく思いました。
時間が足りなかったのと、自分でさけていた所のある相続問題 のある義兄についても自宅に帰り、一度ではなく何度も内観しな ければと思っています。
これが内観か、ピカッとこれという実感まではつかめませんで したが、こういうふうにしていけば、内観に近づけるのではとい う、ほんの少しのところまで来たような気がします。ありがとう ございました。
それと、アジアの貧しい人々を援助するための一回食事抜きの 時は、お茶のお湯のみの温かさまでありがたかったのですが、そ の次の朝食の時は、ご飯や味噌汁のありがたさに隠れて、お茶の ありがたさが薄れていました。本当に人間とはぜいたくな生き物 だなあと思いました。
最後に余談ですが、私はお寺の内観と聞いて、てっきり一週間 精進料理だと思い、数日前から肉料理ばかり食べてきてましたの で、びっくりしました。さすが、栄養士さんのお料理で大変おい しかったです。おごちそうさまでした。
最後の夜の玄米には感激しました。もしこれから若い人たちに 内観を勧めるとしたら、玄米料理など今はマクロな食事もはやっ ているので、ダイエットも兼ねて、「心と体のデトックス内観」 というのはどうでしょう。
本当に皆様お世話になりました。そしてご迷惑おかけしました。 ありがとうございました。
*あなたも メールマガジン「幸福ニュース」を購読しませんか。費用は、無料です。 下記に登録するだけで、E-MAILで毎月3回自動配信されます。 メールマガジン登録 メールマガジン解除
|
|