人間、皆、幸せになりたいと願っています。不幸せになりたいなどと考える人はいらっしゃらないはずです。では、幸福になるにはどうしたらよいか、考えてみることにしましょう。 全ての宗教でいっている共通点は何かと考えますと、{悪いことをしないで、善いことをしなさい。}ということではないでしょうか。仏教風にいいますと、{諸悪莫作(まくさ)。諸善奉行。自浄其意(ごい)。是諸仏教。}(悪いことをしないで、善いことをしなさい。自分の心を浄め、コントロールしなさい。これ、諸仏の教えなり。)ということになります。 {なぁーんだ}と思われるかも知れませんが、こういう話があります。 詩聖といわれた白楽天が鳥か和尚に{禅の真髄は如何!}と質問したら、{諸悪莫作。諸善奉行。}(悪いことはしない。善いことはやりなされ。)と答えました。白楽天が{そんなことは、3才の子供でも知っていることではないか。}と言うと、和尚は、{3才の童子これを知るといえども、大人ほど行じ難し。}と答えたといいます。 この頃、国の最高学府をでた高級官僚の方々が逮捕されていますが、大人ほど善いことをしないで悪いことをするところがあります。{わかっちゃいるけど、やめられない。}そこに人間の性(さが)をみる思いがします。 そういう我々凡夫にとって救いになる言葉を 伝教大師最澄様がおっしゃっておられます。{一隅を照らすは、国宝なり。}と。(社会の片隅でもいい、何かしら人の役にたつことをしている人は、国の宝である。)と述べられています。 それでは、一隅を照らし、幸せになるには、どうすればいいのでしょうか。他の宗教でもいっていることは、次の4つになると思います。まず第一に{全てを愛する}ことです。全ての人やすべてのものに愛の心を持つことです。キリストは{汝の敵を愛せよ。}とまでいいました。{仏法とは、大慈悲これなり。}とも申します。 第二に全てに感謝することです。人は放っておいても自分の得になることは、ありがたいと思います。幸福になろうと思ったら、選り好みしてはいけません。自分の損すること、いやなこと、迷惑なことでも、できるだけ良い方へ受け止めて、良い方へ生かしていくのが、本当の感謝です。 全ての事、すべての人、全ての物がいつでも100%ありがたいという心境に達した時が、悟っている時です。皆様が本来の仏様に戻っている状態です。それを広い意味で{即身成仏}(この身このまま仏となれる)と言っていいと思います。ま、我々は凡夫ですから、何でもかんでもありがたいというわけにはまいりませんが、何かありましたら、{今度は仏様が何を教えてくださっているんだろう。}と考えてみてください。 第三に{全てを許す}ことです。怨むことと怒ることが一番いけません。{人を呪わば穴二つ。}呪われた人は高枕で、グーグーいびきをかいて寝ています。怨んだ当人の方が自分の怨みのために、体や頭がおかしくなったりすることがありますので、御用心ください。 お釈迦様は{怨みに報ゆるに怨みをもってしては、怨みの炎は永久に消えることはない。赦すことによってのみ、初めて怨みは消えるであろう。}とおっしゃられておられます。あの世にいったら、裁きをうけるのですから、すべては仏様におまかせしておきましょう。許すことによって、あなたは成長し、あなたの器は大きくなるのです。 また、徳川家康も、{堪忍は長久の基。怒りは敵と思え。}と遺訓を残しています。{頭にきたら、十数える。それでだめなら、百まで数えて何も言わない。}これが、アメリカ第三代大統領トーマス・ジェファーソンの行ったやり方です。皆さんも試してみてください。 第四に{人助けをする}ことです。顔でもって、言葉でもって、体を動かして。仕事を通じて。お金とか物を寄付して、等々。 まず、{和顔愛語}です。朝一番、微笑みながら、{おはようございます。}を言いましょう。家庭で、隣近所で、職場で、皆様の笑顔でもって、回りが極楽浄土に近づきます。逆に、朝から角をはやしたりしていますと、御主人が仕事でミスをしたり、子供さんやお孫さんがケガをしたりとかいうことがおきますので、ご注意下さい。笑っていけないのは、お葬式と供養の時だけです。あとは、男性でも、明るい人と暗い人、どちらが好かれるか、すぐおわかりいただけると思います。諺にも{笑う門に福来る}と申します。 次に誉めましょう。人間は人の悪口や批判が大好きです。嫁の悪口を言っていたらお鍋がこげてしまったという笑い話や、酒の肴の一つは上司の悪口と相場が決まっています。でも悪口だけ言っていると、自分の運勢が悪くなります。できますならば、誉め言葉を多く言うようにしてください。特に地位が上になればなるほど、年をとればとるほど、{ありがとう。ご苦労さん。}等の誉め言葉をたくさん言うようにしてください。悪口を言えば悪口が、誉めれば誉め言葉がかえってまいります。 {小さな親切運動}というのがありますね。それをまず、身近なところから始めてみて下さい。仏教派詩人として有名な坂村真民先生も{二度とない人生だから}という詩のなかで{二度とない人生だから、まず一番身近な者たちに、できるだけのことをしよう、貧しいけれど心豊かに接してゆこう}と詠っておられます。 誰でも簡単にできる{一食布施}という人助けもあります。{1ヶ月90食のうち1食をたべないで、それでもって世界中のめぐまれない人々を救うために使いましょう。}という方法です。食事を抜けば当然お腹がすいてきます。{やはり、食べ物は必要だな、ありがたいな。}ということが体でわかります。 そこで{もし、何々がなかったら?}というクイズをしてみてください。{おふとんがなかったら?}{電気がこなかったら?}{おとうさん、おかあさん、おじいちゃん、おばあちゃんがいなかったら?}もっと広げて、{もし、空気がなかったら?}今、環境問題ばやりですが、皆さんの中で、空気代を払っている方がいらっしゃいますか?{雨が降らなかったら?}{お日様がなかったら?}とこういう風に考えていきますと、{我々が決して自分一人の力で生きているのではなくて、多くの物、多くの人の力で生かされている。}ということに気付かされます。ならば、少しでもお返ししようというところまで、広がってまいります。 ですから、菩薩行として、自分のできる範囲でできる人助けをやってみて下さい。ボランティア活動などもこちらがおそわることが多いのです。まさに{情けは人のためならず}、自分に返ってくるのです。あの世では、お金とか地位は評価されません。どれだけ愛の心をもって人に接したか、どれだけ人助けをしたか、どれだけゆるしたか、等々で裁かれるのです。 そして、お釈迦様の説かれた中道の生活を心がけて下さい。有にも無にも、正にも邪にもとらわれず、迷いをはなれ、さとりにこだわらず、中流に身をまかせるのが、中道の見方、中道の生活です。極端すぎるのは、いけません。右でもない、左でもないところに本当の道があります。現代風にいえば、バランス感覚です。 人生は、楽しみながらの魂の修行場です。自分の思うように生きようとするから、つらいのです。あるがままに良い加減に、(いいかげんでは、ありません。)、他人を愛し自分を愛し、他人を許し自分を許し、できる範囲で小さな人助けをしながら、楽しく日々を過ごしましょう。すべては、光り合い、生かし合っているのです。 最後に、吉本式内観の創始者、吉本伊信先生のお義母さまである、中川りうさんの詩を皆様に紹介して終りたいと思います。 「 道のうた」 森川りう
これから通る
苦しいことから逃げていると
感謝の心
長所はうぬぼれると
やり手になるより
出来ることはやろうとせず
知りながら
幸福はどこにも見えず
過去が現在を作り
むつかしい事は
腹を立てまい
人を困らせて得たものは
身なりより光るあなたの心懸け
褒められて
与えても
いやな仕事も喜んでやれば
人の世話はよく出来ても
右でもない、左でもない所に
金は重宝なもので
豊かだから与えるのではない
笑顔でお早う 合掌 |
人の世の波のなかで 《死のうと思う日》
死のうと思う日はないが |
人々の憂い、悲しみ、苦しみ、もだえは、どうして起こるのか。それは、人に執着があるからである。富に執着し、名誉利欲に執着し、悦楽に執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみ悩みが生まれる。執着があるから、悲しみや苦しみとなるのであり、執着を離れさえすれば、すべての悩み苦しみはあとかたもなく消えうせるのである。 |
*あなたも メールマガジン「幸福ニュース」を購読しませんか。費用は、無料です。 下記に登録するだけで、E-MAILで毎月3回自動配信されます。 メールマガジン「幸福ニュース」登録 メールマガジン「幸福ニュース」解除
|
|