私はアルコール依存症です。酒を止め続けるためには、どうし たらよいのか。人格を変えることにより、それが出来るのではな いかと思い、この内観を受けました。
私は、子供時代は貧しかったという記憶が鮮明に残っています。 私は三人兄弟の末っ子でした。
父は酒もよく飲んでいましたが、朝から晩まで働いていました し、母も働いておりました。団地住まいで車もない。父母は友達 の父母よりも老けているし、うらぶれている。いつも他の家に生 まれたいと思っていました。
小学校より鍵っ子で、兄弟の中で一番最初に家に帰るのが私で、 玄関の側に隠してあった鍵で家に入るのが常でした。
内観で思い出した事ですが、4才の時に家に借金取りが来て、 母は押入れに隠れているから、「お母さんはいないと言え」と、 母に言われた事がありました。とにかく貧乏がいやだった。家全 体が、息を殺して貧しさに耐えていた家庭だったと思います。
当然、家族同士の会話もなく、私の目からするとばらばらに生 活していたと思っておりました。父に対しては、母を働かせて、 男らしくない男と思っておりました。
しかし、父は50才で、貯金ない、家ない、仕事がない、無一 文の状態で、人生の再スタートを切って、家族を守ってくれたこ とを、この内観をして気付きました。その父を背中からずーっと 男らしくない男と見ていたのです。
母も子供を四人産めば、容姿が衰えるのは当たり前、老けてい くのは当たり前、そういう人に対して、私は召使のように接して いました。
その二人から、並々ならぬ愛情を毎日のように受けていた事を 思い知りました。その愛情は、本物の愛情だし、我が子を大切に 思う心だと思いました。
父母はおとなしい人達でしたので、しかられるとか、何かを強 制するようなことはありませんでした。子供は自由に育てるが父 の口癖でした。
その状況で私がしてきたことは、この家を守るんだ、貧乏を隠 すのだと言う思いだったと思います。そして、わがままな振る舞 いが沢山あったと思います。
そのような子供が大きくなっていくわけです。高校は希望の学 校に入学できず、不良が多い高校に行きました。大学も希望する 大学ではありませんでした。そして、社会人となり、何回か転職 を繰り返しました。
家庭は貧しかったかもしれないが、大学まで行かして頂いてい る。貧乏が一番いやだったのは、私ではなく父母だったことをこ の内観で知りました。
結局、何不自由ない家庭生活だったのに、それを嫌がっていた 自分、高校と大学も自分の実力相応で入学したのに、それをブツ クサと文句を言っている自分。会社に入って、自分の思う通りに ならないことを、不満に思い、ブツクサ文句を言っている私。
そして、内観していても、内観が深まらないと文句を言ってい る自分。文句ばかりを言っている人生です。実状を受け入れない ことが、幸せになっていかない理由であるような気がします。
宇宙レベルで考えると物事は皆中立で、プラスもマイナスもな い。でも、人間は色々なものにとらわれて、自分で問題を作り出 して、自分で悩み苦しむ所がある。特に正義感や使命感には気を 付けなければならない。というお話がありました。
内観では文句を言うテーマはなかった。決して深い内観ではなか ったと思いますが、心の中で座っていただけでも良しとしたいと 思っています。
父母からしてもらっていた事を思い出すと涙が出ます。不思議 と心がスーッと楽になります。闘う必要もない、素直にしてもら ったことに感謝できる人間になりたい。
最後になりましたが、お食事がとても美味しかったです。お世 話を頂きまして、ありがとうございました。
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