昭和十年ごろよく読んだ、あやめ文庫に「清水の次郎長」というのがありました。 米屋の若且那の次郎長が、どこかの縁日の賑わいの中で易者に呼び止められて、「貴殿には死相が出ている。一年の命じやな」と言われました。 それ以来、どうせ無い命なら財産があっても無用のこと、と毎日毎日かわいそうな貧しい人をみつけては、金品を施したり仲間を助けたりして、使い果たして死を待っていました。 一年が経って、また縁日が来ました。次郎長は、去年の易者をすばやくみつけるとえらい剣幕で、「お前が一年の寿命というので、死神を待っていたが、まだこの通りに元気でいる。財産は無くなり、命だけが残った。どうしてくれるんだ」とつめ寄りました。 易者はじっと顔を見ていたが、「不思議だ。死相が消えている。そればかりか、長寿と福運の相が出ている。あなたはこの一年、何をしたんだ?」 「財産があっても、命が無いのなら仕方がないから、みんな使ってしまった」 「何に使った?」 「貧しい人に恵むのは気持ちがいい。友達を助けてやると喜ばれる。寺社に納めると、神さまや仏さまからほめてもらえるように思えたから、みんなばらまいてしまった」 「それがよかったんだ。功徳だねえ。善いことをしたから疫病神が逃げ出して、福の神が舞い込んだのだ」 「困るな、命は延びても財産が無くなったのでは、どうにもならん」 「大丈夫、福の神が守っている。今までの心で、人の為に世の為に尽くしなさい」 ということで、明治二十七年まで八十歳を越す長寿だったといいます。 |
タンポポの綿毛のように 柔らかい愛を持って お互いが生きてゆく それは何と素晴らしく 美しいことであろうか そう思い わたしはかがみこんで 道のべの タンポポの綿毛を じっと見つめていた |
人は利己的な心を捨てて、他人を助ける努力をすべきである。他人が施すのを見れば、その人はさらに別の人を幸せにし、幸福はそこから生まれる。 一つのたいまつから何千人の人が火を取っても、そのたいまつはもとのとおりであるように、幸福はいくら分け与えても、減るということがない。 (四十二章経)(The Teaching of Buddha) |
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