春四月になると、新学年が始まります。
子供を学校に通わす親たちの心構えとして、始業式から戻るとまず最初に、「担任の先生は誰だった」と聞いてあげてください。
すると子供は「○○先生」と答えるでしょう。
その時、何も知らなくても、「それはよかった、あの先生はいい先生だよ」と、言ってあげてください。
そうすれば子供の方でも、「僕も頑張ろう」という気になります。
逆に、「あの先生か、あまり評判がよくないから気を付けなさい」などといえば、子供はたちまち明日から学校へ行かなくなります。登校拒否というのは、こうした会話から芽生えることもあるのです。
いま一つ、慈悲についてです。
正しくは大慈悲または大慈大悲ともいいます。そして、仏さまの心の説明にも用います。仏さまのお心とは「大慈大悲のお心」といわれています。大慈大悲とは、思いやりの心、いたわりの心、相手に対して、どうかしてあげたいと思う心、総じて「愛」のことをいいます。
更に詳しくいいますと、「慈」というのは、父親の愛情であり、「悲」というのは、母親の愛情を意味します。この違いは、厳しさ八分に優しさ二分の愛情、これが父親の「慈」であります。反対に母親は、厳しさ二分に優しさ八分の愛情、これを「悲」といいます。親たちは、この心で子供に接することです。
子供というのは、私は「風船」のようだと思います。たとえば、押さえつけると、上が ることができず、かえって反発するだけですが、逆に親の愛情で軽く叩き上げてやれば、子供は能力を発揮して伸びます。これが「叱るより褒めろ」というたとえであります。
大事にそして優しく、時には厳しく育てて、思いやりの心を待った人間、人のために尽 くす人間、世間さまの役に立つ人間に育てることが、子供を教育する親たちの使命でもあります。このことが、引いては一家百年の計に通じるのです。
({龍神の説法}かまくら出版)
私は、父親の事を思うと胸が苦しくなり、呼吸が浅くなっていきます。昨年、父親が心臓発作で倒れ、命が危うくなっていることを知り、助けに行きたいと思いましたが、父親の顔を見るだけで倒れてしまう私は、父を助けに行くことができませんでした。
どうにかして助けに行きたかったけれども、私の体が父親を拒否している現実にぶつかりました。自分で情けないと思いながらも、自分では変えることができないので内観を決心しました。内観後は平気な顔をして父に会いに行けることを期待して蓮華院にきました。
{今を変えれば、過去も未来も変わる。}と教えて下さった人がいたので、それを信じて内観をしました。その結果、私の新しい過去を発見することで、今の自分の心が変わり、今までの暗かった過去が明るくなり、未来までもが明るくなりました。
これからは、明るい気持ちで父に会うことができます。そして、父親に感謝し、恩返しをすることができます。内観のおかげで、私の恨みの心が消え、平和な心が取り戻せました。
内観をしなければ、私は子どもの時に受けた傷を背負ったまま苦しみ続け、いつまでも子供のままで成長することができなかったでしょう。過去にとらわれ、今を生きずに過去を生きていた私は、内観をする事で明るい過去をよみがえらせ、これから楽しく生きていく事ができます。
ずっと父に愛されずに育ったという勘違いを直し、父親、母親、そして3人の兄達に愛されて育ったという過去を持つことができました。そして、自分を愛してくれた父親、母親、3人の兄達に恩返しをしていくという未来を持ちました。本当にありがとうございます。
だけど、自分を変えたのは、自分自身です。今、私は、自分で自分自身を変える方法を知り、今後はこれを活用して生きていくことができます。内観をしている1週間はとても長く感じたけど、これからの長い人生を明るく前向きに生きることができ、明るい過去や未来をつくっていけることを考えたら短いものだと思います。30才くらいになったら、また内観をしに来ようと思っています。
小さい頃からマイナス思考でどんどん暗くなっていた私は、プラス思考に変えればどんどん明るくなっていく事を知りました。これからの私は、明るくなることを目指します。人の心は無限に広がっているので、私の狭い心を徐々に広げていこうと思います。
内観をしてみて、父はあまりいい人間ではありませんが、そのかわり、素晴らしい母と兄を持っていることを知り、私は、とても家族に恵まれていると思いました。あまりに恵まれすぎていたために、その事に気付くことができなかったのかも知れません。
私のわがままを許してくれ、自由に育ててくれた家族に感謝します。自分のわがままを聞いてくれ、甘えさせてくれる人がたくさんいる私は幸せです。
その優しい人達に何かをして返したことは、あまりありませんでした。それでも、たくさんの愛情を注いでくれた人達に、これからたくさんの恩返しをしていこうと思います。
内観をして、うれしい気持ちでいっぱいです。とてもよかったです。大きな発見ができました。ありがとうございました。
心に花を咲かせよと
お説きになったお経である
慈悲
誠実
柔和
この三弁の花を
小さくてもいい
咲かせてゆこう
仏の心とは大慈悲である。あらゆる手だてによって、すべての人々を救う大慈の心、人とともに病み、人とともに悩む大悲の心である。
ちょうど子を思う母のように、しばらくの間も捨て去ることなく、守り、育て、救い取るのが仏の心である。{おまえの悩みはわたしの悩み、おまえの楽しみはわたしの楽しみ。}と、かたときも捨てるときがない。
ところが、人々はこの仏の心を知らず、その無知から、とらわれを起こして苦しみ、煩悩のままにふるまって悩む。罪業の重荷を負って、あえぎつつ、迷いの山から山を駆けめぐる。
(観無量寿経、維摩経)(The Teaching of Buddha)
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