袖すり合うも他生の縁という言葉をご存知ですね。この{他生} という所を{多少}と思い違いをしておられる方は結構多いのでは ないでしょうか。と申しますのは、私がつい最近までそう思っていた からです。
{人がすれ違いざまに袖がふれあうのには多かれ少なかれ何かの縁
があったからだ。}
それは私が盲人のための音訳の講習を受けている先生から 他の生について、もう少し申し上げますと、仏教は{輪廻転生(り んねてんしょう)}を肯定しています。私達は今生きている以前に 何回も生まれて死んでを繰り返しています。 ですから、今の生の前に何回もの前生が有る訳です。その何回もの 前生の中での縁で、今の生で誰かと会ったりしているというのです。 坂村真民さんの言葉に{人生は深いえにしのふしぎな出合いだ}と いうのがあります。全くその通りだなと肯けるのです。
私達は前生からの縁(えにし)で様ざまな人びとに出会っているの
で、どんなにささやかに見える出含いでも大切にしようではありま
せんか。今めぐり会っている人とは二度と無い出合いをしているの
ですから、そして実り豊かな人との関係を築いて行きたいものです。 |
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てをにぎりあって
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人は煩悩によって業を起こし、業によって苦しみを招く。煩悩と業と 苦しみの三つの車輪はめぐりめぐってはてしがない。 この車輪の回転には始めもなければ終わりもない。しかも人はこの輪 廻から逃れるすべを知らない。永遠に回帰する輪廻に従って、人はこ の現在の生から、次の生へと永遠に生まれ変わってゆく。 限りない輪廻の間に、ひとりの人が焼き捨てた骨を積み重ねるならば、 山よりも高くなり、また、その間に飲んだ母の乳を集めるならば、海 の水よりも多くなるであろう。 (Itivuttaka 24)(The Teaching of Buddha) |
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