内観とは、身近な人々、母または母親代わりの人、父または父親代わりの人、配偶者などに対する本当の自分を見つめるために、
@していただいたこと、Aしてさしあげたこと、B迷惑かけたこと、
について、具体的な事実を過去から現在まで調ベる中で、色々な気付きや発見により、悩みの解決ができ、より良い人生を過ごせるようになる方法です。
父が小刀を上手に使って竹トンボを作っています。その手元を一心に見入っているオカッパ頭の小さい頃の自分の後姿がテレビでも見ているように私の目に浮かびます。その内に、その後姿の子供の思いが、{お父さん大好きー}というその思いが、それを見ている現在の自分の胸にドーッと伝わってくると同時に、{父を大好きだったんだ!}という喜びと同じくして熱いものが私の胸全体にカーッと広がりました。
そして次第に本当は父が大好きだったこと、父と一緒にいることが幸福だった自分を思い出しました。竹トンボなど一度も思い出すこともなく、作ってくれたことさえ忘れていました。
酒乱で私を母を家族を苦しめ悩ませ続けて、私が17才の時に他界し、私の人生の中で忌み嫌っていた父、その父に対しての小学1年から3年までの自分を調べている時の一瞬の体験でありました。
一度目の時は父にしていただいた事も、迷惑をかけたことも一つも答えることができませんでした。
小さい頃から、本当に可愛がってくれていたことは母から聞いていましたが、年を長ずるにつけ心をくもらせて、自分の心にふたをし続けてきた私だったとの申し訳なさと共に、その父が大好きで、その父と一緒にいる事が幸福だと思っていた自分を実感できた感激で一杯です。
たまたま時間が空き、何気なく立ち寄った図書館の棚の中で手にした本がきっかけでした。
20年程前に記憶ははっきりしていませんが、{お母さん、子供の心が見えますか?}という本を読んだ時に内観の事が書いてあったのを思い出し、今回石井光先生のご本と重なり、50才の誕生日を迎え、一度自分の人生を見つめてみたいとの思いが参加の動機でした。死ぬ時に{いい人生だった}と思いたいというような軽い気持ちでした。
最初から足が冷たく頭痛がしたので深い内観だったとは思えませんが、母に対しての内観では、10年前他界した母との回想を一つ一つ懐かしく思い出しては改めて幸福を感じることができました。父に対しては考えたくもないという自分の思いの中での内観でしたが、いくらかなりともわだかまりが解けたような気がいたします。
その他、様々な課題が残った今回の体験ですが、本当に参加させて戴いて良かった。目に見えない大きなものの力に感謝せずにはおれません。
そして、私の内観を少しでも手助けしようと、まったく無私の心で冷えた足を暖めるようにホッカイロを手渡して下さったり、美味しい食事を作ってくださったり、そして、この静寂の空間を利用させていただいた事は、私の人生の大きな節目になりました。有難うございました。
仏教を信ずる者は、すべてのもののありのままの姿、すなわち、{空}の教えを知っているから、世の中の仕事、人間の間のいろいろのことを軽視せず、そのまま受け入れ、それをそのまま、さとりの道にかなうようにする。
人間の世界のことは迷いであって意味がなく、さとりの世界のことは尊い、という二つに分けることなく、世間のすべてのできごとの中にさとりの道を味わうようにする。
はからいを離れた智慧をもって照らせば、すべてはみな尊い意味を持つものとなる。 (Mahamaya-sutra)
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