敗戦後、日本は一度アメリカさえしのぐ絶頂期を迎え、わが世の春を謳歌しました。ところが、バブルがはじけ、いまだもって回復していません。
そこへ、あいつぐ、政治家、官僚の汚職や規律のゆるみです。完全な制度疲労をおこし、国と地方自治体の借金は700兆円とも言われています。我々一人当たり約700万円の借金であり、しかもなお、約10分で利子が1億円ぐらいずつ増えている計算だと聞きます。しかも、新しい道はまだ見えない。日本はどうしてこういうみっともない状態に落ち入ってしまったのでしょうか。
日本全国をおおっている中毒症状、それは乞食根性ではないでしょうか。戦後、日本の農業や他の産業を復興させるために、政府や自治体は補助金をうまく使ってきました。確かにその効果はあったのですが、その副作用も大きかったのではないかと思います。
補助金は麻薬のようにじわじわと自立心をむしばみ、自立心欠如の中毒患者をつくりだしてしまいました。人々は何かあると自分達で何がどこまで出来るか考える前に、すぐ政府に何かしてもらおう、県や市や町に金をだしてもらおうという短絡的な発想と行動をとるようになってしまったように思えてなりません。
国際援助活動を当寺でも行っておりますが、日本のボランティア活動の草分けである有馬実成先生は、次のように言っておられます。{中にいる人が自分で変わろうと思わない限り、援助はうまくいきません。そこに住んでいる人自身が、自分達で変えようとするのを外から少し手助けする、内発的開発が大事です}と。
現地の方々が最後に自分達で自主的にやってゆけるよう手助けする援助活動が大事だということです。いつまでもおんぶにだっこの援助では、もらうのが当たり前になってしまい、自分達の足で立って歩くことができません。
地域興しでも、北海道の池田町、長野の野沢温泉町、大分の湯布院町、宮崎の綾町など、成功したところは皆、住民達自身の工夫と努力と独自性を基礎にしているようです。
この前TVを見ていましたら、アメリカ人は、できるだけ住民が自分達自身でして自治体や政府の支出を押さえ、税金も少なくしようという考えが主流でした。自分達でつくった政府や自治体だから、先ず住民自身で何とかしようという精神が底流にあるようで、日本とは全く逆だなあという印象をうけました。
個人でも同じです。悩んで内観に来られた方も帰るころには、自分が多くの人々に支えられて今まで生きてきたこと、また、人が悪いのではなく自分自身の責任だったという事に気付かれます。自分と他人を許し、わだかまりがとれ、悩みが解決して明るい顔で帰られます。自分の幸・不幸を他人のせいにしていては、問題はいつまでたっても解決しません。自己責任ということに自分自身で気付いて、初めて問題は解決し、幸福になれるのです。
お釈迦様も最期に「自灯明、法灯明」という言葉を残していかれました。「自分自身と仏法をよるべとして歩んで生きなさい。」ということです。年金は破綻します。政府や自治体が何かしてくれるという幻想をすてましょう。「天は自ら助くるものを助く」です。
その意味で、石原都知事が戦後初めて地方自治体独自の新しい課税制度を創設することは、平等性の点で多少問題があるにせよ、画期的なことであり、良いことだと考えます。 法律にそういう条文があったにもかかわらず、誰も今までそれを実行せず、国からもらうことだけに労力と時間とお金を費やし、その結果、ますます地方自治体の借金も増えつづけてきたのですから。
こういう話を思い出しました。サーカスの象は小さい時から、杭に太い鎖でつながれて育っているので、杭は抜けないのだと思い込んでいるそうです。我々もそう思い込んでいるところがあるのではないでしょうか。
財政基盤をかためないことには、いつまでたっても三割自治から脱却できず、地方分権などのぞむべくもありません。他の自治体もむだな歳出削減と同時に地方独自の政策や税制の立案・実行に努めることを期待するのは私だけではないでしょう。
サッカー日本代表チームのトルシェ監督が、日本の選手は、{責任を伴う判断に弱い}といっています。{赤信号みんなで渡ればこわくない}と集団無責任になれ、決断力と自己責任に欠けるということです。この弱点を克服すれば、世界で最もレベルが高いといわれるイタリア・リーグで活躍している中田選手のように、世界中どこでも通用する一流選手になれるということでしょう。
設計士でも、図面を引ける人はたくさんいます。良い設計者は、想像力があり、施主の希望に応じて個性的なアイデアを工夫し、盛り込んで提案してくれるそうです。コンピューターが発達するにつれ、コピーや計算は機械の方がじょうずに早く正確にできるようになりつつあります。でもコンピューターにできないもの、それは、本当の意味での創造や決断です。
世界で初めて青色発光の液晶を発明した日本人の研究者は、カリフォルニア大学の教授に就任しました。四国の中小企業の開発部門にいらっしゃった方です。青色液晶完成後、外国の企業や大学からの招聘は多かったけれども、日本の大学・企業からの誘いはほとんどなかったそうです。
外国では、誰も研究していないことを皆やりたがります。ところが、日本では、新しい研究、事業にあまり手をだそうとしないし、評価しようとしません。これは、徳川三百年の間に、戦国時代までもっと自由闊達だった日本人の性格を、おとなしくなるよう、ゆがめてしまったのに原因があるのではないかと推測しています。
これを変えるには、教育の方針・やり方から変えていって百年(三世代)はかかるでしょう。また、心理学の実験では、集団討議の結果は常識的で無難な結論に落ち着くという事実が報告されています。集団合意による横並びでは進歩はない、日本はよくならないということです。
今アメリカの大リーグで活躍している野茂投手も新しい道を切り開いた人です。それまでは、日本のプロ野球は二流でアメリカでは通用しないと誰もが思っていました。ところが、彼の活躍で、その後ぞくぞくと日本人が大リーグで活躍するようになったのです。中国にも{井戸を掘った人の恩を忘れてはならない。}という諺があります。パイオニアとして、野茂氏の名前は永遠に野球史に残るでしょう。
また、大リーグのコーチは普通アドバイスをしないそうです。聞かれて初めて助言する、いいコーチほどそうだと聞きます。つまり、学生と違って、プロの社会人なら自分で考え、工夫し、努力して、それでアドバイスが欲しかったら聞きなさいという自主自立の社会なのです。講義に出れば黙っていても先生が教えてくれる、受身ですねかじりの甘い学生気分では通用しない、それがプロであり、だからこそ高給をもらえるのでしょう。
それから、普通、大リーグのキャンプでは、集団練習は午前中だけです。午後は自主トレーニングです。つまりここでも、自主・自律・自己責任なのです。誰かが何かしてくれるだろうや、依頼心が強い人、遅れず・休まず・働かずの世界とは無縁なのです。ですから、一度大リーガーになったら、一生飯が食えるといわれるのでしょう。自分で計画や目標をたて、実行していくところから道が開けていくのです。
故ケネディ大統領は就任演説で{国が貴方に対して何をしてくれるかを問うのではなく、貴方が国に対して何ができるかを問え。」と述べました。また、イギリスのサッチャー元首相は「自助努力」を協調し、イギリスを改革・復興しました。今こそ人頼りの乞食根性を捨て、{自助努力}の精神に基づき、我々一人一人が深く考え、自分のできる範囲でできるところから、始める時に来ているのではないでしょうか。
今、世の中が大きく変動する時代に我々は廻り合わせています。また、{光陰矢の如し}です。人のことをあれこれ言っているうちに、すぐお迎えが来てしまいます。自主自立・自己責任で、先ず自分自身の内発的開発を心がけ実行するところからスタートしましょう。それが幸せへの入り口のひとつではないでしょうか。合掌
こつこつ
こつこつ
木をつついて
孔をあけ
巣づくりをする
きつつきのように
こつこつ
こつこつ
こんとん未明に起き
詩を書き続けてゆこう
きつつき
こつこつ
しんみん
こつこつ
怠るのは死の道、努め励むのは生の道である。愚かな人は怠り、智慧ある人は努め励む。
心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。
怨みは怨みによっては鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。(法句経)
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