1998年1月1日第17号
幸福ニュース
紅梅は寒中に咲きてなお芳し
{あなたの花は何色?}

お寺の境内の西側に十数本の紅梅が一月中句から花を付け始めています。花の少ないこの時期、寒さに負けず清烈な香りを周囲に漂よわせているその姿に「がんばってるね、ありがとう」と思わず声をかけたくなる程です。

「人それぞれに花あり」と言われるように、人にはそれぞれその人にしかない独自な花(個性)が必ずあります。そしてその花を存分に咲かせる(生かす)ことが、人間にとっての幸福であると思います。このように、人に個性があるように花にもそれぞれ個性があります。

冬に咲く梅と春に咲く桜を比べて、どちらがきれいか?と比較することは全く無意味なことです。日本人にはバッと咲いてバッと散る桜を尊ぶ気風があります。そのためか、花と言えば桜といわれるくらい桜は私達には特別な花になっています。

しかし、厳寒の中で必死に咲いている梅の花、そしてそのふくいくたる香りにも、捨て難いものがあります。私に梅と桜、どっちが好きかと問われれば、梅を選びたいと思います。それは、厳しい寒さに耐えて咲くその姿に感動するからです。また梅の花はただ耐えて咲いているだけでなく、寒さの中にあっても爽やかな香りを周辺にふりまいているからです。

{厳しさこそ愛と慈悲}

人は自分が幸福な時や余裕のある時は周りの人びとに何かと気を配ることもできますが、自分に余裕のない時はなかなかそうは行きません。ですから私は梅の花に教えられ、励まされるのです。ここ数年続いている景気の低迷の中で多くの経営者や社員の方々、そしてこの頃は特に全国の受験生にとって今年の寒きはことさら厳しく感じておられることと思います。

私は愛媛県の砥部町へ行ったことがあります。それは仏教詩人の坂村真民先生にお会いするためでした。真民先生は、当寺で運営している社会教育団体(親を大切にする子供を育てる会)の顧間であり、またこの会で行っている(お父さん・お母さん)の詩のコンクールの審査委員長を務めて頂いております。

その日は真民先生の詩を愛唱し、先生の生き方に感銘を受けている人々が集う(朴の会)の新年会の日でありました。会場には三百人程の人ぴとが集まっておられました。どの方も輝くひとみと、和やかなお顔の方ばかりでした。さながら様々な花が集う花畑のようでした。

その会場に

「試練」
試練は鞭ではない 愛なのだ 慈悲なのだ

という力強い独得な字で書かれた真民先生の額が掲げてありました。紅梅の花は寒気に耐えて咲くからこそ、芳しい香りを発しているのです。私達人間も同じように神仏の慈悲と愛の表現でもある様ざまな試練を受けて初めて、人格の香りが高まるのです。

{ある青年の悩み}

ある時三十才の男性が、特別指導(事前に予約した人に対して直接対面して悩み事などの相談や指導を行う)を受けに来られました。彼は大学を卒業した後、これまで四回職を変わったがなかなか自分に合った仕事が見つからないので、どうしたらよいかという相談でした。

よくよく聴いてみると、決して仕事がつらいからとか辛抱できずに職を転々とした訳ではなく、「たった一度の人生だから、自分なりに『これだ』という仕事に巡り合っていないから職を変わったのです。」としっかりした返事でした。一緒に来ておられたお母さんは「この子がこんなにも職を変わるのは何かの霊障(さわり)でしょうか?」とそばから心配のあまり言葉をはさまれました。

私は仏前でお参りして彼に対する霊障があるかどうかを調べてみましたが、取り立ててそれはありませんでした。そこで私は彼に「あなたにとっての生きがいは何ですか?」「あなたの使命は何だと思いますか?」と逆に間いかけてみました。しかし彼から先程のような明確な答えは返って来ませんでした。

「あなたはまだ自分にどんな花があるのか気が付いていないのです。そしてあなたは、自分がどう生きるかでなく、誰か他の人のお陰で生かされている自分が、その人のために生きるという考え方をしてみてはいかがですか。これまで女手一つで苦労して育ててくださったお母さんを喜ばせるために生きてみるというのも、問題解決のヒントになるかもしれません。」と話しました。

{内観で探る生き甲斐}

彼は何か考えさせられるものがあったらしく、大きくうなづいていました。そこで私はこれまでの彼が自分の人生をふり返るための其体的な方法として「内観」を勧めました。内観とは読んで字の如く、自分自身の内側をじっくりと見つめることです。

具体的には一週間、お寺(または内観研修所)にこもり、畳半畳の区切られた場所で、 一、していただいた事。二してあげた事。三、ご迷惑をおかけした事
を、現在から二、三年づつ過去に逆上ってじっくりと思い出してみるのです。最初はお母さん(あるいはお母さんがわりの人)について三つの事を調べます。

これを何度かくり返した後、今度はお父さんについての以上の三つを調べます。そして自分のまわりの人々に対しても同じように調べます。このように自分をこれまで育んで下さった方々が自分にどのように接して頂いたのか。それに対して自分はどのようにふるまって来たのかという具合に父や母などの周りの人々の鏡に映った自分自身を見つめるのが内観です。

昨年の「子供の詩コンクール」の特別賞に坂村真民先生が選ばれた詩にこのような詩がありました。

{親を大切にする子供を育てる会賞}

「お父さんの花」

「私」という名の木に
「私」という名の花が咲く
淡いピンク色の締麗な花だ

お父さんこの花はあなたが
今までに教えてくれたことや
かけてくれた言葉が
「私」という名の木に花を咲かせたんだよ

一番うれしいときにかけてくれた言葉は
「おめでとう、よかったね。」
一番悲しいときに慰めてくれた言葉は
「がんぱれ、お父さんがついてるぞ。」

ねえ
見てよお父さん
綺麗だと思わない
両手をいっぱい広げても
包み込めないほど
こんなにたくさんの花が咲いて

---------------白川中学校三年-------------河合舞

{信仰のカで自分の花に色どりを}

自分の花は決して自分一人だけで咲かせるものではなく、回りの人ぴとの色々な影響によってその色や形が決まって行くことを、中学生なりの見事な感性で感じ取り、表現しています。

人は苦しい試練を乗り越えた時、その人生に色どりを添え、人格の香りを高めることができます。また、嬉しい時悲しい時、共に喜ぴ共に泣いてくれる人のために生きることができるのです。

み仏様がそばで見守って下さっている事を知っている人や信仰を持つ人は、み仏様からいただいた試練を有難い慈悲として受け取ることができます。その時、人はもつと強く、もつと優しくなれるのです。そして自分自身の花を立派に咲かせることができるのです。どうか皆さん今厳しい社会の状況や厳しい立場に置かれているとしても、それを己を高めるためのバネにして力強く生きて行って下さい。合掌

<坂村真民詩集>
{光と風の輪廻する海}

光と風の中を
生まれたばかりの
蝶が飛んでゆく
わたしも
光と風の中を
生きてきた
これからも
生きてゆくだろう
流転し
輪廻する
限りない
生死の海を

{棟方志功さんの話}

けさの話は
とくべつよかった
シヤカさま
シヤカさま
シャカさまにきいたら
................................

なんて
この人独特のひびきがあって
実によかった
話は遊戯三味についてであったが
大乗の涙なんていうことぱも
このひとの口からでると
しぜんにほほえまれてきて
からからとうち笑いたくなるような
よい話となる

ねぶた人形の
うしろすがたのよいことなど話されるときの
あの声
あの歌拍子
まったく神人合一の境地だ

宇宙相手に
万類相手に
美の遊びをしましょうねえと
結ばれたが
話が終ってからも
声のひびきが
東西南北
天地十方に
まだ残っているようで
わたしは息をのんで
じっとしていた
雨でさえ
一時降りやんで
ききほれていた

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