もう7年程前のことであるが私がミャンマーに赴任して間もない頃ミャンマーの家には何処も窓に鉄格子が入り、高いブロック塀の上に鉄の針や有刺鉄線を施し泥棒避けをしてあることに驚いた。まるで牢屋のようだし、火事になれば窓から逃げられずに焼け死 ぬのではないかと心配した。
しかし、ミャンマーに生活するようになってもっと驚いたことがあった。それは、泥棒に入られて、泥棒を責めずに自分を責めるミャンマー人に対してであった。
敬虔な仏教徒であるミャンマー人は自分が泥棒に会ったのは前世で何か悪いことをしたからに他ならない。だからその時の清算をしなければならないから、泥棒に会うのは自分のせいだと考え泥棒を許す。勿論全てのミャンマー人がそういう風に考える訳ではないが、このようなミャンマー人は意外に多い。
私の家にも5回泥棒に入られた。干していた洗濯物2回、サンダル一回、自転車一回、そして、日中に干していた毛布も門の鍵が掛かっていたにもかかわらず、油断していた僅かお昼ご飯の一時間ほどの間に盗まれた。サンダルを取られた時には、泥棒はわざわざ これまで自分が履いていた、くたびれたサンダルを揃えて置いて行ってくれた。
私自身はまだそのような気持ちにはなれないが、意外とその考え方は平和への近道ではないかと思う。
普通の日本人にはこのような考え方は非常にネガティブで変に映るかも知れないが、自分の人生に遭遇する全てを自分の責任として捉えていること、自分の生命をこの世限りで捉えていない所は考えさせられると思う。
なぜなら、この考え方からはアメリカのような力による報復も人を恨む怨念も生まれてこない。いま、多くの日本人が本当の豊かさを求めるのは心が貧しいからであろうし、人生をこの世限りという狭い了見で捉えているから、自分中心、お金中心の世の中にな ってしまったのではないだろうか。
仏教は輪廻転生の永遠の命と死に向かう心のあり方を教えている。それを十分理解すれば死を恐れる必要もないし、毎年3万人以上が自殺すると言う日本の社会のように、人々が死に急ぐ必要もなくなるだろう。
日本の社会がここまでおかしくなったことを考えれば、意外とこの辺りに人生を豊かにする、或いは、社会を良くするヒントが隠されているのでないかと考える。
人間は誰もが幸せを求めて生きてはいるが、結局幸せとは心が感じるものだから、どんなに探しても自分の外には見つからないし、お金や物で満たされることは決してない。
お釈迦様は全てを悟られ涅槃へ行かれたが、私たちもまずはこれまで信じてきた間違った価値観を転換する必要があるように思う。心の価値を転換しない限り人々の心に幸せは来ないし、平和な社会も訪れない。
仏教は「欲望」、「怒り」、「無知」を無くすことを説いている。ミャンマーの伝統的な仏教社会が21世紀の私たちに教えてくれていることは、与える代わりに貰う(Give&Take)考え方ではなく、お互いに与え合うことだけ(Give&Give)に拠って立つ新しい価 値観とその社会の在り方だと思う。合掌 (農苑長 平野喜幸)
煩悩のきずなから逃れる第一の方法は、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。すべての苦しみのもとは、心の中の煩悩であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現れることを正しく知るのである。
見方を誤るから、我という考えや、原因・結果の法則を無視する考えが起こり、この間違った考えにとらわれて煩悩を起こし、迷い苦しむようになる。(一切漏経)
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