今回は、大阪の熱心な購読者の竹下様からの投稿を掲載させていただきます。日本ユニセフ協会大使で教育学博士でもある、アグネス・チャン女史の講演会の抄録です。
皆さんこんにちは。
日本に17才で来てから今年で33年目です。年を数えないでください。そうなんです、いま40歳です(笑)
渡辺プロダクションに所属して、働いて働いて働きづくめの24時間フル活動。マネジャーはいつ寝ているかわからなかった。3日間同じ服装で出社、臭かった。(笑)でも夢を語ってどんな仕事でも一生懸命やっていた。
最初日本に来た時に帝国ホテルに泊まった。丁寧におじぎをされる。礼儀正しい。チップは渡さないで下さいという張り紙にもビックリ。香港はチップ次第だから。(笑)あのころの東京の街はきれいだった。タバコを捨てる人はいなかった。
働く楽しさを日本で学んだ。デビュー曲は「ひなげしの花」ですが、今首をたてに振ってくださっているひとは30才以上・・・。(笑)
仕事が沢山入ってきた。香港の場合も忙しかったが、2局あるテレビ局と契約して仕事をするため料金がすべてわかっていた。しかし、日本にきてからは月給制だからいくら働いても給料は同じだった、でも周りを見ると文句などなにもいえない。まわりも必死で仕事をしていた。
マネジャーがいたが、英語をしゃべれなかった。私も日本語はしゃべれないが、マネジャーは適当に通訳してこなしていた。どうコミュニケーションをとっていたのか?(笑)当時の雑誌を見るが、全然意味が違っている。(笑)
日本の値段は高く、百貨店で母親は10回くらい見ても買わない。しかし、百貨店は「気にいる物がなくてごめんなさい」と謝った。謝ったということを母に伝えると、母はビックリして、もう一度戻って、一生の買い物といってコートを買った。そのコートはいまでも着ている。礼儀正しい日本を気に入っていた。
最近は、ファーストフードなどマニュアル化しているから、本当に心から笑っていないし、会話も無い。凄く丁寧だが、人をみていないから反応がずれる。
近所の駄菓子屋さんで「麦チョコ」をよく食べた。またそのおばちゃんが非常に優しくしてくれたことが嬉しかった。あの頃の環境があるのかなと思うが、無くなっているのでは・・・・。私はまわりの子供に声をかけるようにしているが・・・・・。そういう日本を取り戻してほしい。
あのころの若者は一生懸命つっぱしってきたが、いまは、ニート。格好いい名前ではなく格好悪い名前、例えば「居候」とかでは・・・・・。(笑)これもひずみのあらわれ、社会が病んでいるからか。私たちの夢みる力がおちてきたのではないか。
若い時は走って走ってきて、ある程度貯えがあると、ある年齢になると、守りに入る心理が働くのではないか。子供の学費、親の介護、自分の将来の不安・・・・を考えると守りに入ってしまう。
若者からみると素敵じゃない大人になってくるのではないか。いま大人は若者の先頭にたって進む必要があるのではないか。ああいう先輩みたいになりたい、ああいう大人の後ろについていきたいと思うようになれば・・・・。
昔の女性は働くのに必死だった、居場所もなかった。長くいるとまだいるのかという顔されたりした。だから前向きに働きたい女性は必死で働いた。その姿をみて若者が先輩素敵、私も先輩のようになりたいと目標にした。しかし、いまは法律に守られ落ち着いてきて、あれだけ頑張ってもあの程度なら頑張るだけ損になると努力しない若者がでてきている。夢をなくした感じがする。
自分だけに生きている人間はそこそこでいいと思ってしまう、自分だけのことならエネルギーは沸かない。専業主婦の昼食をみればわかる、自分だけの食事には手間はかけない(笑)
日本に初めてきた時は失敗の連続・・・。日比谷公園に連れていってもらった時、みんなコロコロ太っていた「ハト」を見ておいしそう、たべたいなあと、香港ではハトはご馳走です。煮たりやいたりバーベキューしたりすれば本当においしい。(笑)日本では平和の象徴、食べる習慣がないと聞いてわかった。文化の違い。
和室に通された時、四角いテーブルしかなかった。こまったなあと思った。イスが無い。そのテーブルに座ってだんだん不安になってきた。全員がすわるとみな背中あわせになるのになあ。(笑)私の姿をみてお手伝いさんがビックリ。座っている時にもおかしいなあ、思ったことは日本人は照れ屋ではずかしがりやなんだなあとも思った(笑)
香港は、いま水を中国から買っている。水は貴重。お風呂も20センチくらいしかない。日本で入った時は首までつかっておぼれそうになるくらい。本当に気持ちよかった。浴槽の中で綺麗に洗って、母からもフロは掃除してあがりなさいといわれていたので、掃除をして出てしまった。次社長が入ろうとした時、怒っていた。何で怒っているんですかと聞いたら誰だ水を流したのはと・・・・・。外で洗って、湯は皆で使うんだよといわれて凄い智恵だなと思った。(笑)
日本の長生きは、風呂にあるんだと思う。水が豊富な国だから毎日風呂に入れると思う。良く眠れるから健康になる。毎日風呂に入れる国はほんのわずかである。アメリカはシャワーのみ、留学している息子も戻ったらまず必ず風呂に入る。風呂の文化も凄い。
日本に来た時に食べれなかったものは、「海苔(ノリ)」。どうしてもカーボン紙に見えて食べれなかった。(笑)おにぎりに巻いて初めて食べてパリとしておいしかったことを覚えている。日本は海に囲まれているからノリが獲れる。先祖は保存食にして遠方の人でも食べられるように加工したのだとわかっていまは好きになった。カーボン紙とが黒い紙といってごめんなさい。いま子供達も好きで良くたべます。すぐ無くなるんです。お中元やお歳暮にはノリがいいんですけど。(笑)
この反対に日本の皆さんが食べないものも一杯あると思います。その中の一つに、「ヘビ」があります。召し上がらないんですか。(笑)私、大好物なんです(笑)旬、食べころは秋なんです(笑)苦手な人でもスープにすると美味。(笑)しかし、友人にいうと気持ち悪いといいます。私は一生懸命説明した、中国はよく飢えたため食べものを求めて山中に入っていった、だから漢方も発達した。とかげ、さそり、蟻の子、蜂の子も食べる。
「あ、そうか、生きのびるための智恵だったのか」と友人は理解してくれた。野蛮とか気持ち悪いとかいってご免なさいねといってくれた。でも友人はヘビもとかげも一生たべないかもわからない。食べないからといって絶交とは言わない。友人も気持ち悪いものをたべるからと言って絶交とは言われない。
友好・友情を深める事は、同じになることではない。同じなることを望むことでもない。不可能を望んだらイライラします。喧嘩になりますよ。むしろ一番のカギはお互いが違いを認め合う事ですね。お互いが違いを認め合って尊重しあって、できれば理解しあってね。チャンスがあれば勉強しあって。楽しみあうことなどは楽しみあって。どうしても同じにならない時は、相手を大目にみなければいけないことになると思います。もし世界中がみんなそのくらいの気持ちなれたら、もう少し平和がくるだろうと思った。
でも残念なことにいまでも57カ国戦時中。80%が内戦です。主な原因は、宗教・歴史の認識の違い・民族の違い、同じにならないかも知れない。昔の内戦は終わりがあったが、終らなくなった。それは、資源があるから。違う国が応援して権利を得ようとしている。しかし死んでいるのはその国の子供や女や年寄りです。この悪循環を断ち切れないだろうかと思っている。が、人ごとのように言っていても始まらない。
ファミリー
長女:美人(女優にスカウトされた)
次女:医者(小さい時から頭がよく香港大医学部トップ)
アグネス:顔と成績をよく比べられた。コンプレックスを持っていた。
しかし、中学でボランテイア活動に参加した時である。施設から出てきた子供達を見てビックリして動けなくなった。手が無いから声で歓迎をしてくれた。その子供たちはサリドマイドであった。その他いろいろなボランテイア活動を経験して、子供達と接していって大きく自分が変わっていった。
その時まではいままで自分が一番かわいそうな子供だと思っていた。しかし、接した子供たちに比べて私は本当に恵まれた子供だとわかった。自分が明るくなり、自分のことはどうでも良くなった。自分のことを忘れると問題が無くなっていった。そして、歌をうたうようになってから香港でスカウトされ歌手になった。
日本に来て一番平和を感じた。平和をとても大事にしている国だと感じた。戦後60年、いまはターニングポイントである。戦わない選択が必要。
日本に来た小娘が、言葉もわからない娘を日本は認めてくれた。差別されなかったことが嬉しい。これが一番の教えである。心が豊かになった。どんな国にいっても差別する事が無い。日本で学んだことを一生かけてお返しをしていきたい。
戦時中戦後の国をいろいろ歩いたから、平和主義者になった。イギリスの植民地の時に生まれたからイギリス人。イギリス人に見えませんか。(笑)小さいころは何人(なにじん)か悩んだ。国はときかれたらハ・ヒ・フ・ハと逃げなさい。(笑)
21歳の時に中国に戻る。チベットの麓が実家だが貧しいところ。でも歓迎の歌をうたってくれた。アグネスが帰ってくれるかもしれないと歌の準備していたことを知って、本当に嬉しかった。「歌」の重要性を痛感。歌で平和のかけはしになりたい。てれるなあ。(笑)
『戦争中の国に行った話(略)』
ある看護師さんから「理屈をこねるより行動」
イラクに行った話
劣化ウラン弾⇒被爆。
地雷⇒子供が廃車の部品を外して泥棒市場で売り、食べ物に変えている。
病院⇒薬無し、治療できない。
日本の役割として
1.平和を守ること。
2.いい製品・サービスを提供すること。
3.医療関係者には、子供達を助けてほしい、また医療者達を励まして欲しい。
夢は・・・・。
『日本の人ですか、あの時は大変お世話になりました。どうぞどうぞあがってゆっくり食事をしていってください。私日本大好きです。』と言われるようにしていきたいのが夢です。恥ずかしがりやの日本人も、国際社会だから多少の自己宣伝も必要。
最後に、天国と地獄のたとえ話。
おいしい料理を目にして食べられず痩せこけていまにも死にそうなグループと、楽しそうに仲良く食べているグループがありました。全員、1メートル以上の箸でたべていますが、箸が長いので自分で自分の口にいれようと思っても食べられません。
自分のことしか考えないグループは、おいしい料理を目の前にして一向にたべられません。とうとう、お前が悪い、あいつが悪い、制度が悪いと言い出し、箸でもって殴り合いのケンカになりました。
一方のグループは、長い箸を利用して、相手の口に入れあっています。おいしい料理を仲良くたべて楽しそうでした。
今の日本は、自殺者3万人に、ニート80万人にと言われる現実です。天国か地獄かどの方向に行こうとしているのか我々は考えなければならないと思います。
最後は歌と手話で・・・・。
しあわせのはなを咲かそう
こころのなかにいくつも
ささやかでもわたしたちは
この世にうまれたはな〜
以上
<感想>
すばらしい話に感動。笑いあり、歌あり、涙あり。何かしなければ生まれてきた甲斐がないし、人間じゃないなあ・・・・・・と感じた。(竹下)
*竹下様、素晴らしい投稿を本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。(編集者)
執着を離れ、無情をさとる。おのれのためになると同時に、他人をも利する行為を実践し、人々とともに慈悲に生き、この世俗の生活の足かせや執着にとらわれない。(無量寿経)
*あなたも メールマガジン「幸福ニュース」を購読しませんか。費用は、無料です。 下記に登録するだけで、E-MAILで毎月3回自動配信されます。 メールマガジン登録 メールマガジン解除
|
|